−13−

嶋田 健
写真 北野 清

火焔山のふもとでウイグル族の農民が羊の番をしていた。詩人の岑参は火焔山を「突兀(とっこつ)たり」とも表現した。「突兀」にはそびえ立つ、突然に、の意味がある。決して高くはないが、この表現がふさわしい迫力ある山容だ
 
 「ちとおたずねいたしますが、ご当地は秋だというのに、どうしてこんなに暑いのでしょうか」
老人、

 「この地は火焔山(かえんざん)と申しましてな、春も秋もござらぬ。四季を通じて暑いのですじゃ」
  (中野美代子訳『西遊記』岩波文庫)

 おなじみの『西遊記』。三蔵法師の嘆きに答えて地元の老人が火焔山を紹介する。このくだりの後、暑さをしずめる芭蕉扇を手に入れるための孫悟空の大活躍が始まる。

 この火焔山は新疆(しんきょう)ウイグル自治区のトルファンにある。市街地から東に向かって車で出ると、硬い土と小石が混じるゴビ灘(たん)になる。

 5月下旬の午後6時というのに、気温は37度。ところどころ石油の小さな井戸があり、鮮やかなオレンジ色の炎が上がっている。

 30分も走ると左手に赤紫の山が見えてきた。火焔山だ。「山」としては、拍子抜けするほど低い。道路からはせいぜい200メートルか。でも、やたらに長い。総延長は100キロ近くになるという。

 
 道路わきでウイグル族の農民が羊の番をしていた。チムールと名乗った。土造りの家の背後に畑が広がり、数人の男たちが働いている。「ハミウリの畑だよ。連中は河南省からの出稼ぎだ。毎年、作業を頼んでいるんだ」とチムールさんは言った。ウイグル族が漢族を雇用しているのがちょっと意外だった。

 振り返ると、火焔山が正面に見えた。浸食が斜面に深く刻んだ縦じわがぐぐっと迫ってくる。山なみと平行に車で走ってきたときとはまったく違う迫力だ。山肌には一木一草もない。かげろう越しに見る縦じわは確かに炎。火焔山とはよくいったものだ。

 道路わきに「3961」と書かれた里程標があった。北京からのキロ数だろうか。腕時計の高度計は海抜下95メートルを示す。水平と垂直、二つの途方もない数字が目まいを誘う。

 辺塞(へんさい)詩人と呼ばれた唐の岑参(しんじん)は実際に火焔山を見てうたった。

 我来(きた)るは厳冬の時なるに
 山下に炎風多し
 人馬尽く汗流る
 孰(だれ)か知らん造化の功
     (『火山を経(す)ぎる』)

  「造化の功」として驚異をもって仰ぎ見られた火焔山は、ふもとで繰り広げられた小国の興亡を逆に見下ろし続けてきた。

詳細地図