|
|||||||
|
|||||||
ブドウの玉簾(たますだれ)、とでも言ったらいいだろうか。それが幾重にも並ぶ。時は10月。畑ではない。小屋の内部すべてがブドウで埋まっている。甘い香りが充満する。手入れをする女性はウイグル族。ブドウの緑と服の赤、水色の対比が鮮やかだ。私たち異邦人の突然の来訪をにこやかに迎えてくれた。 甘粛省の敦煌から西に100キロほど進むと、新疆に入る。この省・区境あたり、ちょうど「西域」が始まる地域から、格子状の壁をもつれんが造りの建物が目立つようになる。それがこの干しブドウ作りのための乾燥小屋だ。ブドウといえば、日本では生食とワインをまず思い浮かべるが、中国では干しブドウへの加工が多い。 タクラマカン砂漠の北縁を走る街道を古くから西域北道と呼び、南縁を走る街道を西域南道と呼ぶ。ともに、中国のシルクロードの核心部をなす。この北道の要衝トルファンは酷暑・乾燥の地、ブドウの里としても知られている。漢字では吐魯番と書く。 |
ブドウは西アジア原産といわれる。歴史書の『漢書』は、漢の武将・李広利(りこうり)が今から2100年前に西域の大宛(だいえん)を下して汗血馬(かんけつば)を持ち帰ってから後、大宛をあらためて訪れた漢の使節がブドウとウマゴヤシをもたらした、と記している。 張騫(ちょうけん)、李広利らを西方に派遣した漢の武帝は、離宮のわきにブドウとウマゴヤシを植えさせたという。そこにはきっと汗血馬が放たれていたことだろう。長安に出現した西方的景観に、皇帝の得意は推して知るべし。絹はシルクロードを東から西に渡り、ブドウは西から東に伝わった。ブドウに託された西方へのあこがれは、葡萄唐草(ぶどうからくさ)文様として、中国からさらに東の日本にまで広がった。 たかがブドウ、されどブドウ。小さな一粒一粒に大地が宿す生命力と悠久の歴史が凝縮されている。何度も乗った「新疆航空」の機内サービスは決まって干しブドウ。さすがに、うまかった。 |