敦煌に着く4日前の朝、蘭州で読んだ地元新聞・蘭州晨報=「晨(しん)」の字は「朝」を意味する=の見出しに目を引かれた。

 「月牙泉が助けを呼んでいる」

 署名入りの記事は、鳴沙山に抱かれる月牙泉の水が近年の気候大変化などのため年々減り続けている。もしこのまま放置すれば、10年を経ずして泉は枯れるであろう、というショッキングな内容だった。

 月牙泉は、砂丘の中にあって3000年来砂に埋もれることなく、水も枯れたことがない、水中には食べると薬効がある鉄背魚がすむという神泉である。

 そんな大切な泉が記事によると、1950年代に5メートルあった水深が、85年には平均4.2メートル、最近はさらに2メートル強にまで下がった。泉の面積も急速に縮み、現在は85年の3分の1強、約5700平方メートルに過ぎない。敦煌市は泉の近くにボーリングをして、地下水の状況調査を進めている。

 現地で問題の泉を眺めると、見事に三日月の形をした水面は長さが4〜50メートル、幅は広いところで10メートルもないように見えた。観光都市敦煌としては由々しき事態だ。

 敦煌市の人口は中心部が3万人、全域では15万人。オアシス都市として野菜、果物、小麦が豊かに実る町だが、観光も重要な産業だ。

 市の政府に旅遊(観光)局があり来賓接待部もある。その副主任・許召平さんによると、97年の観光客の入り込みは約45万人。うち外国人は6万人でその60%近くが日本人だ。

 「敦煌の名は世界に知られているから、外国からのお客さんは北京から2000キロの距離など問題じゃないんです。中国人客は上海、広東など南からの人が多いです。お金持ちが多いから」。鳴沙山で出会った白人グループはスイスから来ていた。

 これに対し、観光ガイドの数は140人。許さんは「半分の70人が日本語ガイド。ほかに英語、フランス語、ドイツ語、朝鮮語も数人ずついる」といささか得意げだ。ホテル16軒、ベッド数8000以上。観光用のバスなど大型車120台、タクシー600台、人力三輪車少々…という態勢である。

 もっとも、日本人観光客の数はこの2、3年減り続けており、中国国内も不況で、楽観はできない。

 観光の新名所として、「敦煌故城(沙州故城とも)」という映画村が挙げられる。映画『敦煌』(88年、井上靖原作)のオープンセットをそっくり保存した。唐・宋のころの町並みが再現されている。敦煌は風が強く、セットの中をつむじ風が砂ぼこりを上げるところが迫力があった。

 敦煌は、冬1月は最低気温が氷点下28度にまで下がり、真夏は44度を記録したこともある。私たちが訪れた6月中旬もラジオが「最高気温38度」と告げていた。中国ではその日の気温が40度以上になると職場は休みになる規則があるそうだ。「だから、どれだけ暑くなっても発表はいつも『38度』だ」と、だれかが言っていた。  

水位がどんどん下がり、小さな水たまりのようになった月牙泉。左の楼閣は以前は清代の建物があったが文化大革命の時に壊され、93年に復元された

月牙泉の枯渇を訴える蘭州晨報の記事

街を行く三輪車のタクシー。乗客の女性は買い物帰りのようだ

映画『敦煌』のセットを保存した「沙州故城」を見物する名古屋からの観光客
敦煌名物の夜市。露店は玉の細工品や古銭、書籍、衣類などを売り、市場の広場に入ると、メン類や羊肉料理の屋台が遅くまで店を開けている