人生とは毎日の生活の連続であり、毎日とは朝から晩まで
生活することで、それを正すことが根本である。
朝は早く起床し、昼は仕事に没頭し、夜は休息する
生活のリズムを少しも乱すことがなく連続させることが
正命の根本精神でなければならない。
乱れた生活からはよい仕事もうまれはずがない。
充実した人生をいきれるはずもないのだ。

正念とは正しい憶念のことで、不断に忘れずにる事である。
何を一体忘れずに銘記するのか?それは、四念処であるという。
正念ー四念処
1)身体は不浄である
2)感覚は苦である
3)心は無常である
4)すべての物は無我である

王三昧とは仏と一つになった自己、宇宙と一つになった自己
になりきることだ。

自己の「背後にある或る物」こそ本来の面目とも呼ばれるべき真の自己、
絶対自由の自己であるのだ。

真の善とは唯一つあるのみである。真の自己を知るというに尽きて居る。
我々の真の自己は宇宙の本体である。真の自己を知ればタダに
人類一般の善と合するばかりでなく、宇宙の本体と融合し
神意と冥合するのである。宗教も道徳も実に此処に尽きて居る。

「念彼観音力」(彼の観音力を念ず)となる。
観音さんとは本来の自己、真実の自己のことだ。
真実の自己とは無相の自己である。
無念無想の当体にほかならない。
そこで念彼観音力とは本来の自分になりきること、
本当の自己と一つになることになる。
どこまでも観音即自己なることを体得することだ。

八正道は八聖道とも書く。