全ての物が無常であれば、なにもこの人生に対して
努力する必要はない、明日は明日の風が吹くと考え、
毎日毎日を自分の快楽を満足させるように生きれば
良いではないか、と刹那主義者は考えるが、それは
快楽主義者、刹那主義者の主張であって、仏教の
無常観にもとづく努力主義とは全く異なる物である。

刹那主義者はむしろ「明日あれ」と願い、この世を
無常とは考えないから、かけがえのない一瞬一時の
享楽のためについやしてしまうのだ。
仏教の無常観には明日はない。