【睡眠と覚醒】
リズムの乱れは発達に影響
生まれてすぐの赤ちゃんを観察すると、昼夜の区別なく寝たり起きたりしている。四カ月ごろになると、次第に
昼に起きて、夜眠るようになる。
子供の睡眠と発達の関係を三十年以上研究する瀬川昌也氏(東京・瀬川小児神経学クリニック院長)による
と、この睡眠覚醒(かくせい)のリズムが、心の発達には重要な役割を果たしていることがわかってきた。
睡眠覚醒の実験はラットを使って行われることが多い。その結果、生後すぐのラットの睡眠覚醒リズムを狂わ
せると、本能行動の発現と環境への順応性に障害が起き、ヒトの自閉症に似た認知機能の障害、行動障害が
現れることが確認されている。「ヒトの場合も自閉症の約七割は、この時期に睡眠覚醒リズムが形成されていな
い。生後四カ月ごろ、昼夜区別なく睡眠していたら危ない。情緒の発達に重大な影響を及ぼす」と警告する。
では、寝ている赤ちゃんの脳では何が起きているのだろうか。
◇ ◇ ◇
睡眠にはレム睡眠と、睡眠直後の深い眠りのノンレム睡眠があることが知られている。レム睡眠時には、急速
眼球運動(Rapid Eye Movement、略称REM)や、夢見に現れる大脳の活動など神経活動がみられるが、抗
重力筋の完全な筋活動の停止(アトニア)があり、すべての反射系が抑えられ、外から影響は受けない。
瀬川氏によれば、睡眠には特定の神経物質を分泌するニューロン(神経細胞)が関与しているという。レム睡眠
発現には、脳幹のコリン作動性ニューロンが作用し、胎生前半は常にレム睡眠にみる神経活動が続く。後半に
なってノルアドレナリンニューロンが活動を始め、コリン作動性ニューロンの活動を抑える。
これにより胎生九カ月までに神経活動が活発な時間帯(レム睡眠の原型)とそれらがない時間帯(ノンレム睡眠
の原型)が交互に約四十分周期で現れるようになる。昼夜の区別ができる生後四カ月でアトニアがレム睡眠の
みに出現、レム睡眠とノンレム睡眠がはっきりする。この過程には、脳の活動を高めるといわれるセロトニンニュ
ーロンが関与する。
発達過程のレム睡眠は脳各部の機能的発達に、ノンレム睡眠は脳全体の統制の取れた機能発達、すなわち
同期性、相反性活動の形成、本能行動、認知など高次脳機能の機構の形成にかかわる。瀬川氏は「各睡眠が
本来の機能を発揮するには、アトニアがレム睡眠だけに現れることが必要。そのために四カ月までに昼夜の区
別に一致した睡眠覚醒リズムを完成させなければならない」。
◇ ◇ ◇
睡眠と覚醒が昼夜の周期に同期するのは生後二カ月からで、四カ月までに昼間の睡眠が減り、睡眠覚醒リズ
ムは昼夜のリズムへの同調(サーカディアンリズム)を形成する。瀬川氏は「リズムの形成には胎生四十週以
後、明確な昼夜の区別の下で育てることが必要。生後は夜間の豆電球の光もその形成を一カ月遅らせるという
報告もある」という。
瀬川氏自身、親の海外転勤で睡眠時間が七時間遅れるなどして、自閉傾向になった生後四カ月の赤ちゃんを
診察したことがある。「小さな子供にとって、睡眠覚醒リズムの正常な発達がいかに大切か実感した」
ラットの実験から、ヒトの生後四カ月までは説明できるが、その後の昼寝の減少、三−五歳にかけての睡眠覚
醒リズム、体温や成長ホルモンなど視床下部のリズムとの同調機構の形成はラットにはない現象で、脳の発達
にどんな役割を果たすかわかっていない。
瀬川氏は「それらが障害されるダウン症候群とトゥレット症候群の研究から、人間だけが持つ大脳前頭葉の関
与する知能の発達と社会性、共感性、おそらくは『心の原理』の発現に関与するのでは」と指摘。自身の治療経
験から、これらの疾病は早期に睡眠覚醒リズムを確立することで改善するという。
「四カ月までは日光と親の養育、乳児期は加えて食事や他人との接触、幼児期は歩行、同年齢の子供との接
触が環境刺激として大切。これが疾病の改善と健全な心の形成につながる」
赤ちゃんのこころの芽生えには、ヒトの生活リズムの基本でもある睡眠覚醒が深くかかわっている。(篠田丈
晴)=おわり