東京都立荏原病院外科部長 済陽 高穂さん
「自然の健康食」がん予防に期待
がん治療の最前線に立ちながら「縄文式生活」を提唱している医師がいる。東京都立荏原病院外
科部長、済陽高穂(わたよう・たかほ)さん(56)。手術の腕前で週刊誌に取り上げられることもある「名
医」が、患者の生死を突き詰めてたどり着いた一つの結論だ。すでに自ら実践、予防や臨床での取り
組みも模索。病気を生活習慣からとらえようとする21世紀の医学を象徴する考え方として、普及に努
めている。(加藤達也)
朝五時過ぎ。ハチミツ大さじ三杯と二個分のレモン汁を入れたグレープフルーツジュースを一リットル
飲む。
朝食はキノコスープに玄米、ヨーグルト。通勤の一時間には、根コンブをしゃぶり、唾液(だえき)の分
泌を促す。午後十時前に帰宅後、イカや貝の干物、木の実をつまみに晩酌。脂制、減塩の食生活。十
時過ぎには寝る。
「縄文式生活といっても野山のイノシシを追っかけて暮らそうというのではありませんよ」
済陽さんはこう言って笑い、「縄文」までの道程を語り始めた。
年間のがん死亡者が十一万人を超えた昭和四十五年。勤務した東京女子医大消化器病センター
では、中山恒明、羽生富士夫医師らが画期的な時間短縮手術法を確立、胃や食道、大腸がんの治
療成績はめざましく向上しつつあった。
問題は肝、胆、膵(すい)のがんだった。その克服がライフワークとなった。
人体の自然治癒力を治療に生かす方法を模索していた六十年、消化器がんの50%は食事に、残り
は喫煙や生活習慣に起因するとの研究結果が英国で発表された。
「がんになりやすい人とそうでない人の違いは何か」を見極める有力な手がかりに見えた。
だが「何を食べ、どう生活すればよいのか」。答えは見当たらなかった。
自宅に近い埼玉県富士見市の縄文遺跡に、ヒントはあった。
その時代、春には青菜、山菜、カキなどの貝類、ノリ、コンブの海藻や魚類。秋、冬にはキノコ類にク
リ、クルミなどの堅果類、シカ、イノシシの獣肉、柑橘(かんきつ)類、ハチミツ。冬の食糧不足期に備え、
発酵、薫製(くんせい)などの保存技術もあった。
「キノコのβグルカンは免疫を向上、発酵成分は腸の善玉菌を増加、ハチミツの酵素は雑菌繁殖を
防ぐ。雑穀や堅果類は緩やかに消化、吸収されて糖尿を防ぐ理想的な熱源…。どれも健康食品その
もの。それに日本人は世界でもまれなほど均質性の高い遺伝的歴史を持っている。一万年にも及ぶ
縄文時代の人の体質はきっと、現代人にも受け継がれているはずです」
「縄文食=自然食=免疫向上」であると確信を深めたころ、「昼間活動して傷ついた細胞が夜眠って
いる間に修復される」という当たり前にもみえる論理を、免疫学者の安保徹氏が裏付けた。
「がんは、免疫力が低下した状態に因子が攻め込んで引き起こされる。だから夜、七、八時間眠り、
リンパ球を中心とした免疫機能を正常化させることは、がん抑止に効果があります。太古の人類はそ
れが自然とできていましたが…」
規則正しい生活と自然の食物をがんの予防と治療に役立てる「縄文式生活」への回帰。すでに熱心
な患者や家族に手応えを感じている。「がん治療は今後手術、放射線、薬を基本に、食事と生活の改
善によって体の免疫機能を引き出す方向に向かうはずだ」
今後は体系化し、科学的な解析を基に術後食などに取り入れ、治療成績向上に役立てる。
◇
▽食と自己免疫・回復力 米・国立衛生研究所は食事の改善が自己免疫力を高め、がん死亡率を
下げると報告している。
荏原病院の患者の一人、九重年支子さん(97)の回復力はそれを示していた。
93歳で結腸腫瘍(しゅよう)を手術、3週間余りで退院。昨年秋にも、胆石と腸閉塞(へいそく)を手術し
たが予後は順調だ。
これに驚いた済陽さんが食物傾向を尋ねると玄米、海藻、発酵食品や野菜などの“縄文食”を常食
していたことが分かり、逆に「病気はパリ在住などバター臭い食生活が関係していたのでは」との思い
を強めたという。
▽日本人のがん 年間の死亡者は約30万人。男性では肺、胃、肝、大腸、膵(すい)が発生部位のト
ップ5だ。胃や大腸のがんなど、術後生存率が伸びているものもあるが、同じ消化器系でも肝、胆、膵
は根治が難しいといわれている。
特に、男女合わせて年間約1万8000人が死亡、根治術後の5年生存率が10%台と、最も治療成績
が悪いグループに入る膵がんは「生活習慣の欧米化」の進行とともに増加傾向にある。
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≪わたよう・たかほ≫ 昭和20年、宮崎県生まれ。45年、千葉大医学部卒。東京女子医大消化器病
センター勤務時は千葉大OBで消化器がんの権威、中山恒明、羽生富士夫の両医師に師事、3000
例以上の消化器がんを手術した。48年、米テキサス大に留学し、ジェームズ・トンプソン前米国外科
学会長の元で消化管ホルモンを研究。帰国後、東女医大助教授。平成6年から現職。明朝末期に中
国から渡来、都城・島津氏に仕えた薬師(くすし)を先祖にもつ。