2001.03.28
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By ジェフリー・クリューガー記者
今の世の中、電気を恐れて生活するのは容易なことではな
い。ドナさん(45・著作業)は、そのつらさを知り尽くしている。
家電製品やスイッチに近寄っただけで激しい恐怖に襲われ、
逃げ出すことしか考えられなくなる。ましてや雷雨の日など大
変だ。もちろん、逃げ出すことができない状況も多い。そういう
場合の対策も色々と考え出した。冷蔵庫を開ける時には、必
ずゴム底の靴を履く。電球が切れたら、誰かが変えてくれるま
で暗闇で過ごす。静電気が怖いから、服を買いに行くのはどう
しても必要な時だけ。夜のプールは、水中のライトで感電死し
たら困るので問題外。雷が落ちる可能性がある時は家中の
電気を切り、暗い部屋で1人、危険が過ぎるのを待つ。
ドナさんの状態を示す言葉は、「電気恐怖症」。恐怖症に
は、驚くほど様々な種類がある。尖端恐怖症、赤面恐怖症な
どから鏡恐怖症、日光恐怖症、雲恐怖症、ピエロ恐怖症。恐
怖の対象は、黄色や白など特定の色や色彩全般、坐った姿
勢やかがんだ姿勢、鶏や蜂から果てはカワウソまで、実に多
岐にわたる。よくもここまで思いつくものだと感心するほどだ。
現在、インターネット上にリストアップされている恐怖症は50
0を超える。舌を噛みそうな名前がアルファベット順に並び、
日々増え続けている。これではまるで心理学というより、むし
ろ「新語造り」の分野に属するテーマのようだ。しかし、中には
高所恐怖症、閉所恐怖症、広場恐怖症のように、深刻な障害を引き起こす種類もあ
る。
一部の推計によると、米国内で恐怖症に悩んだことがある人は約5000万人にの
ぼるという。ボストンに住むベスさん(仮名、中学生)はひどい血液恐怖症で、「切る」と
いう言葉を聞いただけで気を失ってしまう。ニュージャージーのジーンさん(38・秘書)
は風船に恐怖を覚えるため、バースデーパーティーに行くだけでどっと冷や汗をかく。
ほとんどの人々は、自らの恐怖に場当たり的な対処法を編み出してきた。飛行機が
怖ければ離陸前にカクテルを飲み、閉所恐怖症の人はエレベーターでなく階段を使
う。たが、こうした方法はせいぜい一時しのぎに過ぎない。ありがたいことに、今では
安全で持続性のある治療を受けることも可能になっている。
恐怖症とは何か、脳内でどのような神経化学現象が起きているのか、そもそもこう
した現象はどんな目的で人間の脳に組みこまれているのか。専門家たちは、こうした
問題の解明を進めてきた。その結果、魔法のような治療さえ可能となった。たとえば、
子ども時代からの恐怖症をたった6時間で治してしまう集中療法。仮想現実の世界で
恐怖の対象を再現し、その威力を徐々に取り除いていく方法。脳内の変化をいちはや
く嗅ぎ付けて効果を発揮する薬。米食品医薬品局は最近、抗うつ剤の「パキシル」を
恐怖症の治療薬として初めて認可した。アトランタでは先週、不安障害の専門家によ
る学会が4日間にわたって開かれ、社会恐怖症の診断や治療、子どもの恐怖症と不
安障害、治療の成果を持続させる方法など、様々な話題が取り上げられた。
ボストン大学で不安障害を研究する心理学者、デービッド・バーロウ氏は、「精神医
学の領域で、これほどの進歩をとげた分野はない。この数年間で、恐怖症の治療は
大きく転換した」と語る。
恐怖症を自称する人々は少なくないが、その多くは本当の恐怖症ではない。たとえ
ば、「私はコンピューター恐怖症で」とぼやく人。確かにコンピューターが嫌いで、時に
窓から投げ落としてやりたくなるかもしれない。あるいは国際線の飛行機で、「閉所恐
怖症」を理由に真ん中の席を嫌がる人。だが動悸や呼吸困難などの症状が伴うわけ
ではないのなら、多分恐怖症ではない。単なる嫌悪感と病的な恐怖感を区別するの
は困難なこともある。ある種の状況において恐怖を感じることは全く正常だったりする
だけに、始末が悪い。悪天候での飛行や混雑した道の運転には、神経質になる方が
普通だ。
しかし専門家によれば、恐怖症の症状は通常の恐怖とは別物だという。恐怖症で
は、中枢神経が間違えようのない反応を示す。恐怖の対象に出くわすと、冷や汗が出
て動悸が早くなり、呼吸困難に陥る。このまま死んでしまうのではないかという恐怖感
さえ覚え、早く逃げ出さなければとの強い衝動にかられる。対象が目の前にない時に
も、常に次なる遭遇を恐れ、それを避けるための作戦を練り続けている。
ジーネットさん(44、補助教員)は猫に恐怖感を抱くあまり、慣れない店では娘(2
1)をまず偵察に送りこみ、「猫の姿なし」の合図をもらうまで入店しない。娘は5才の
時から、こうして偵察役を果たしている。ノラさん(50、ソーシャルワーカー)は運転中
に左折するのが怖いので、1回の左折で済むところを遠回りし、右折だけを繰り返して
1周するという。
一般に、恐怖症は「社会恐怖症」「パニック障害」「特定恐怖症」の3種類に分類さ
れる。社会恐怖症とは、ある社会的または職業上の状況に遭遇しそうになると立ち往
生してしまうタイプ。パニック障害では、何の原因も見当たらないのに突然強い恐怖感
が襲ってくる。そして、ヘビや高い場所、狭い場所など、対象が1つに限られているタ
イプは特定恐怖症と呼ばれる。3種類のうち、最もわかりやすくて治療が容易なの
は、特定恐怖症だ。
人間は高度な脳を持っているとはいえ、そこにはいにしえの記憶が数多く刻みこま
れている。カナダ・オンタリオ州に済むマーチンさん(21、歯学生)は、ヘビに強い恐怖
を覚えるという。ヘビの写真を誤って開いてしまうことのないよう、教科書のページをホ
ッチキスでとじている。バーやスタジアムでヘビが近寄ってくるという悪夢にうなされ、
目が覚めることもある。「普段の生活で、ヘビに出くわすような機会はないのに」と、マ
ーチンさんは首をかしげる。
だが、マーチンさんの脳の古い部分には、その記憶が刻まれているのかもしれな
い。原初の人類が生き延びられた理由の1つに、恐怖を感じてただちに逃げるという
反射行動があった。人類は、危険な場所や物を感じ取り、それらに遭遇したら逃げ出
すという本能を備えていた。それから数百年を経て、人類が食物連鎖の頂点に立った
今も、こうした原始の教訓は、簡単には消去されずに残っているのだ。
特定恐怖症の対象は、大きく4つのグループに分けられる。虫または動物、高い所
や暗い所などの環境、血または傷、狭い所に閉じ込められるなどの危険な状況。これ
らが、われわれの祖先にとって脅威だったものや状況に集中しているのも、偶然では
ないとされる。「恐怖症は無作為な現象ではない」と語るのは、カリフォルニア大学ロ
サンゼルス校の心理学者、ミッシェル・クラスキ氏だ。「人間は、自らの『種としての生
存』を脅かすものに対して恐れを抱く傾向がある」――時代の変化につれて新たな恐
怖も生まれてはいるが、今でも大部分は上記の4グループに属している。
われわれが抱く恐怖感は、昔の人類と同じく、脳内の辺縁系という場所で処理され
ている。ここは、怒りや性的衝動など、様々な情動をつかさどる部位だ。「何を恐れ、
それにどう対処するべきか、太古の祖先が現代人に教えているかのようだ」と、バー
ロウ氏は語る。
だが、すべての人が太古の記憶を恐怖症へと発展させるわけではない。恐怖症の
素因を作ったのははるか昔の祖先たちかもしれないが、その傾向を決定的なものにさ
せるのは、すぐ前の世代、すなわちわれわれの両親だ。特定恐怖症に悩む人々のう
ち、両親または一方の親に恐怖症がみられる例は40%にものぼる。これは、恐怖症
に遺伝的要素が働いていることを示しているといえる。最近、恐怖症に関わる遺伝子
を発見したとの報告が相次いだが、今のところいずれも立証されていない。
ただし、明らかに過去の経験が恐怖症を引き起こしている場合は、遺伝的要素を論
じる必要もない。子どもの頃火事にあったり、犬にかまれたりしたことによるトラウマが
あれば、そこに恐怖感の矛先が向かうことになっても不思議はない。さらに「気質も重
要な要素だ」と、クラスキ氏は語る。「まったく同じできごとを経験しても、神経質で敏
感な人ほど恐怖にとらわれやすくなる」――親がゴキブリに過剰な反応を示したり、一
滴の血をひどくこわがったりといった姿を見ることで、二次的な恐怖体験をすることもま
た、要因となりうる。科学誌「ネイチャー」の先週号に発表された実験では、電気ショッ
クを予告された被験者の脳内では、実体験にもとづく恐怖と同じくらい強い神経反応
が見られたという。
あるいは、われわれの脳には、幼児期にだれもが感じる漠然とした恐怖感を、1つ
の対象に集中させようとする働きがあるのかもしれない。火災が他へ広がるのを避け
るため、わざと1カ所で炎を燃やしつづけるのと同じ原理だ。
このように、恐怖症は実に簡単にかかってしまうものだが、その治療もまた、簡単に
なりつつある。多くのケースでは、薬に頼る必要もない。恐怖症をひどくするのは、苦
痛を避けようとする行為だ。本人がこわい物や状況を避けようと努力すればするほど、
脳の方はその脅威が本物であるとの確信を得てしまう。「不安を減らすための行為
が、かえって不安を増幅させている」と、バーロウ氏は指摘する。まずは、そうした行
為をやめることが必要だという。
バーロウ氏の病院を訪ねる患者は、まず特定恐怖症があるかどうかの診断を受け
た後、1日か2日の集中療法を受ける。恐怖の対象となるものに患者をさらし、次第に
慣らしていく療法だ。たとえば、注射器や血液をこわがっている患者には、まず血痕の
写っている雑誌写真を見せ、だんだんと強烈な写真にしていく。次は、本物の空の注
射器だ。これを次第に近づけていって、手に持てるようにする。患者は、最後には採血
にさえ耐えられるようになる。
この療法を受けるのは、患者にとって決して生易しいことではない。治療が始まった
とたんに、体が不安のクラクションを鳴らし始める。だがその音は次第に静まり、次の
段階に入った時だけ鳴り響くようになる。ニューヨーク市にある認知行動心理療法セン
ターのスティーブン・フィリップソン氏はこう語る。「道路の騒音やおしゃべりの声に慣
れるのと同じように、恐怖の対象だったものにも反応しないでいることが可能になるの
です」
慣れることによって、根本的な回復がもたらされる。ストックホルム大学での最近の
研究によると、80%から95%もの患者が、たった1回の治療で恐怖症を克服してい
る。1度症状がなくなれば再発することはまれで、代わりに新たな恐怖の対象が登場
することもほとんどないという。
それほど簡単な治療なら、自分でやってみようという患者もいるかもしれない。だが
それはやめた方がいい。この療法には、専門家の監督が不可欠だからだ。対象に慣
らしていく過程が行き過ぎていないか、先に進めても危険でないかなどをチェックする
には、訓練が必要だ。高い所や飛行機の機内など、診察室で再現できないような状
況には、仮想現実プログラムによるシミュレーションが使われる。対象の多様さに応じ
て、ソフトの種類も日に日に増えている。「すべての人が仮想現実に反応するわけで
はないが、平均してみると明らかに効果がある」と、バーロウ氏は言う。このように問
題が特定恐怖症だけなら、医師にとっても患者にとっても話は速いだろう。だが、他の
2つ、社会恐怖症とパニック障害は、もう少しややこしい。
恐怖症を経験している米国人5000万人のうち、社会恐怖症に悩む人は3500万
人。彼らは、悲惨な戦いを強いられている。テンプル大学のリチャード・ヘイムバーグ
氏がよく思い出すのは、かつて訪ねてきた50才の男性患者のこと。結婚して家庭を
持つのが夢と話していたが、拒絶されることを恐れるあまり、デートさえ経験したことが
なかった。しかし、ヘイムバーグ氏の励ましとカウンセリングの結果、男性はついに勇
気を奮い起こし、女性を誘ってデートに。翌日「楽しかったか」と尋ねると、「はい」と言
う。だが、「また彼女を誘ってみるか」との質問に、男性は肩を落として「いいえ」と答え
た。「彼女が慈善事業をしてくれるのも、1回だけでしょう」
この患者の場合、問題は自信のなさだけではなく、まさに「恐怖感」にあった。社会
恐怖症の患者は、社会的な出会いの場面を想像しただけで、冷や汗や震え、めまい
や吐き気などの症状を示す。大勢の人が集まるパーティーなどで症状が出る程度な
ら、その状況を避けることも比較的簡単だ。だが、社会恐怖症が次第に日常生活の領
域を侵し、外界へのドアを次々と閉ざしてしまうこともありうる。患者はだんだんと孤立
し、絶望のあまりうつ病やアルコール中毒に陥ってしまうおそれもある。
とはいえ、暗い見通しばかりではない。社会恐怖症は、特定恐怖症と違って1回の
治療で治ってしまうことはないが、それでも比較的簡単な治療法はあり、うまくいけば
十数回で済む。やはり、恐れている場所や状況にさらすことによって次第に慣れさ
せ、自らを苦しめている破壊的な考え方を変えさせるという認知行動療法だ。患者
は、社会的な失敗をことさらに恐れる傾向や、まわりの反応を悪い方へと解釈してし
まう傾向を改めるよう指導される。1対1よりも、グループ療法が効果的なことが多い。
仲間同士で助け合えるばかりでなく、人の集まりに参加すること自体が、恐怖症克服
への重要な第一歩になるからだ。
こうした療法で効果がみられない場合は、薬を使う。1990年代の初めに抗うつ剤
のプロザックが普及して以来、現代精神薬理学は確実な進歩を遂げてきた。これまで
に登場した薬のほとんどは、「選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)」。その名
の通り、脳内に放出された神経伝達物質セロトニンを細胞が再吸収するのを、選択的
に阻害する作用があり、満足感をもたらしてうつ状態などの回復を促す。製薬会社の
スミスクライン・ビーチャムは昨年、SSRIのパキシルを社会恐怖症の治療薬として認
可するよう食品医薬品局に検討を求めた。同局はこれに応じ、パキシルは恐怖症治
療での使用を正式に認められた初めての薬となった。
誇大な宣伝も目につくが、パキシルは確かに効果がある。不安を完全に取り除くわ
けではないにしろ、従来の療法が始められるところまで、不安の程度を制御すること
はできる。プロザックなど、パキシルに似た他の薬を作っているメーカーも、後に続い
て認可をめざすだろう。「パキシルだけが、特に変わっているわけではない。ただ、最
初に認可された薬というだけだ」と、バーロウ氏は説明する。
社会恐怖症における治療法の進歩は、残る1つであるパニック障害の治療にも希
望を与えている。パニック障害は、自然現象でいえば竜巻のようなもの。どこからとも
なく突然現れて大混乱をもたらし、終わればあとかたもなく消えてしまう。特定恐怖症
や社会恐怖症の患者には恐怖のきっかけとなるものがわかっているのに対し、パニッ
ク障害に悩む人々はいつ、どこで恐怖感に襲われるか見当がつかない。たとえばスー
パーで発作を起こしたら、2度とそこへは行かないという患者が多いが、そうしているう
ちに「安全圏」と思われる範囲は急速に縮まり、最後には自宅だけに引きこもってしま
うこともある。こうしたケースでは、パニック障害は「広場恐怖症」と呼ばれる障害へと
変化する。中には自宅さえも広すぎて、生活の場をいくつかの部屋だけに限定してし
まう患者もいるという。
広場恐怖症の治療には、基本的に社会恐怖症の場合と同様、認知行動療法と薬
が併用される。症状がしつこく、治療に時間がかかることも多いが、いったん効果が現
れ始めると驚くほど早く回復することもある。週1回の個人療法で、10週間から12週
間というのが目安とされる。
この勢いなら、すべての恐怖症が克服される日も近いのだろうか。いや、そうとも言
えない。他の精神障害と同様、恐怖症は患者に2重の苦しみをもたらす。症状がつら
いだけでなく、恐怖症を持っていること自体が恥と感じられるためだ。恐怖症患者の多
くが女性であることは、研究者の間で長いこと議論の的となってきた。社会恐怖症で
は55%、特定恐怖症では何と90%が女性患者だ。これまでにホルモンや遺伝子、
文化など、様々な要因が検討されてきたが、最も簡単な答えは、「男性は恐怖症であ
ることを隠すのに対し、女性は隠さない」ということなのかもしれない。隠していたら、も
ちろん統計の数字には入らない。だがそれだけでなく、治療を受ける道を自ら閉ざすこ
とにもなってしまう。
恐怖症は、他の不安障害との区別がつきにくいという問題もある。1日に十数回も
手を洗ったり、シャワーを浴びずにはいられないという人は、ばい菌に病的な恐怖感を
持っているのかもしれない。だがこの場合、特定恐怖症ではなく、「強迫性障害」との
診断が下されることは容易に考えられる。飛行機事故を経験した後、飛行機の写真を
見ただけで恐怖症の症状を呈する患者がいても、それは心的外傷後ストレス障害(P
TSD)という大きな障害の一部であると考えるべきだろう。それぞれのケースに応じ
て、違った治療が必要となる。適正な治療が施されなければ、治る見込みも小さくな
る。
恐怖症がこれほど簡単に克服できるようになったことは、臨床心理学の分野でも近
年になく明るいニュースだ。恐怖症がもたらす感覚は非常にリアルで、実際に大きな
危険が迫っているかのような錯覚を起こさせる。だが、その「神経化学的な嘘」を暴く
ことが必要なのだ。「本能は『逃げろ』『避けろ』という命令を発するが、本当に必要な
のは、恐怖に立ち向かうこと」と、フィリップソン氏は語る。恐怖にうずくまったまま毎日
を過ごしている人も、まずは立ち上がることで、大きな安どを手に入れることができる
かもしれない。
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