★ムジーク(音楽)

 「ロシア民謡ばかりが、ロシアの音楽じゃないですよ」

 95年の秋だったろうか、函館の地域FM局、「FMいるか」のスタッフに、私はそう話を切り出した。

 サハリンから帰国後、北海道新聞の函館支社報道部デスクとして勤務していた時だ。

 他のメディアとの協力を、社のあらたな方針として打ち出しており、共同企画で「函館の音」をCD化したこともある。

 私もユジノ在任中、月に一度国際電話でユジノの近況を番組にリポートしていた。

 その縁もあって、函館ではFMいるかによくおじゃまさせていただいた。

 そのうちに「ロシアで知ったすてきな歌を紹介することはできないだろうか」と、私が水を向けたのだ。

 ロシアといえば、クラシック音楽の世界にも大きな足跡を残しているが、ポピュラーの分野でもアラ・プガチョーワの「百万本のバラ」などは日本人によく知られている。

 でも、まだまだ一般の人に知られていないロシアのポップスは意外に多い。

 テレビでは、音楽番組が盛んだし、若者たちも音楽は大好きだ。それにロシアのレストランでは、音楽とダンスがつき物。

 函館は、初代駐日領事館があり、北洋漁業の縁もあってロシアとは歴史的につきあいが深い町。

 「FMいるか」さんも興味を示してくれて、番組が組まれることになった。

 さて、ロシアの暮らしぶりも含めて、2時間ほどにわたって紹介したのは私の最もお気に入りのミハイル・シャフチンスキーとターニヤ・ブラノワ。

 実は中古ながら、この2人のCDをユジノで見つけた時、俺は小躍りした。

 ロシアでは、ビデオ同様、カセット音楽テープの違法コピーがあちこちで売られている。ヒット曲で手に入らないテープはほとんどないようだ。

 それでもCDとなると、モスクワと違ってユジノでは出回っているのは数少ない。

 あちこち探してやっと見つけたので、俺にとって、大事なロシアのお土産なのだ。

 シャフチンスキーは、愛称がミーシャ(くまさん)。ひげ面とハスキーな声が特徴で、マフィアとの関係が元で逮捕されたこともあると言うが、それはそれ、これはこれである。

 プロフィールについては私も実はあまり詳しくはないが、CDを3枚も持っている。

 哀愁のあるバラード「シンチャブリャ(9月)」や「ドシャーバリート(胸が傷む)」「カザーチカ(コサックの娘)」が胸にしみるし、アップテンポの曲「ジャジャボーリャ(ボーリャおじさん)」も乗りがいい。

 ブラノワは、残念ながら1枚しかCDをもっていないのだが、海賊版らしいカセットテープも友人からもらったのが1本ある。

 こちらはハスキーな声の女性歌手。コサックの隊長に恋心を訴えた「スカジィー ムニェ プラウドゥ アタマン(本当の事をいってよ隊長さん)」が一番気にいっている。

 実は、この2人の魅力を教えてくれたのは、カムチャツカ州の州都、ペトロパブロフスク・カムチャツキーの地元紙「ベスチ(情報)」で経理部長をしていた女性だ。

 彼女が取材に同行してくれたとき、車の中で聞かせてくれたのだ。

 カムチャツカは、火山の半島。富士山のようなコニーデ型の火山、アバチンスキーやカリャークスキーなどの美しい山があちこちに見られる。

 豊かな自然の中をドライブしてパラトゥンカの温泉保養所などでくつろぎ、シャフチンスキーやブラノワの歌を聴いていると、もうそれは最高の気分。これほどのリゾート地はないとさえ感じた。

 ここが極東の原潜基地のまちとは、とても思えなかった。カムツチャツカの美しさは、北海道新聞社刊の「カムチャツカの旅 全ガイド」を見ていただければきっとご理解いただけると思う。         ↓(下へつづく)        
              
              そしてもう1人、ぜひご紹介したいのは故人だが、ビソウツキーだ。

 詩人、俳優、そして歌手として活躍した。旧ソ連の60年代、70年代に吟遊詩人運動に加わり、ソ連の底辺に生きる人々の思いや反戦歌を弾き語りで訴えた。妻は、フランス人女優のマリナ・ブラディ。

 私がサハリンへ赴任する前の93年、ワシントン駐在経験のあるロシア通の先輩にCDを借りて聞いたのが初の出会いだったが、彼は80年にすでに42歳の若さで他界していた。

 しかし、代表作の「息子たちは戦場へでかける」をはじめどの歌も、ストレートな表現ではないが、含蓄のある言葉で深い思いを忍ばせている。

 旧ソ連の言論抑制下でギリギリの表現を試みたためだろうが、それが非常に民衆の胸を打ったため、生前にレコードの発売は国内で許されず、もっぱらテープで広まったそうだ。

 彼もやはりハスキーな声で、どうも私はしゃがれ声に弱いようだが、叫ぶ吟遊詩人といった感じの歌手である。

 歌がまるでアジテーションのようにさえ聞こえ、歌い方は違うのだが私はしばしばボブ・ディランを連想してしまう。

 こうした歌手が、言葉の壁や市場性の問題であまり日本に紹介されていないのが残念だ。

 英語圏の歌だって、歌詞を理解できている日本人はそう多いとは思えないのだが。どうだろう。

 ロックの分野でも、けっこう聞かせるバンドはあるし、独特なエキゾチックさを感じさせてくれる。

 日本でもプロデュースの仕方によっては一定の評価を得ても良いのではと思うのだが。

 どうも日本は、音楽の分野でもアメリカ志向が強すぎる。ラップミュージックが悪いとは思わないが、違う音楽に目を向けてみてはどうだろう。

 そこから新たな国際交流が始まるのもおもしろいのでは。