★暗黒の星

 「日本人が島を寄こせ、サハリンを寄こせといっている。そんなに領土問題を唱え続けるなら、北海道を取るぞ!」

 だみ声が、「勝利の広場」=写真=に響きわたった。すると、割れんばかりの拍手、喝采が返ってきた。聴衆には、よほど痛快に聞こえるらしい。「その通りだ」「いいぞー」と、歓声も上がっていた。
 1994年7月28日、ロシアの暴れん坊、ロシア自由民主党のジリノフスキー党首がユジノサハリンスクを訪れた。市内の映画館で講演を行った後、さらに旧ソ連がいうところの「南サハリン解放を記念する公園」で青空集会を開いた。

 「オホーツクは、ロシアの内海だ。日本には、魚を1匹も取らせない。北海道にロシア文化会館を建設しても良いが、こっちには必要ない。州内に外国人はいらない。外国人は来ない方がいいんだ。ロシア人がやりたくないと思っている汚い仕事は外国人を雇っても良いが、外国との経済・文化交流はやめるべきだ。仮に経済交流を進めるなら、ロシアの取り分は90%だ」

 これでは、北方領土周辺の安全操業どころか、公海もなにもあったんもんじゃない。石油・天然ガス開発へ日米欧が資本投下して協力しようとしてしていることに対しても、まるで経済侵略呼ばわりだ。

 また、仕事がないなどといいながら、主要な土木・建設作業に北朝鮮や中国の労働者を使っている現実の陰には、こういう他民族への差別感を見る思いだったが、さらにそれを煽るとは…。
 おまけに目前でビデオ取りしていたNHK記者を指さしながら、「私は、もっと日本人を怖がらせたい」とまで言い切っていた。

 私が彼を目の当たりにしたのは、モスクワの最高会議以来2度目だったが、相変わらず過激で、排外的な言動が目立っていた。

 勝利の広場には数百人以上の市民が詰めかけ、やんややんやの盛況ぶりだ。自分自身がユダヤの血を引いているはずだが、ロシア人が少なからぬ偏見を抱いているユダヤ人に対して、まっかな悪罵を浴びせるこの男は、大衆の不満を最もうまく捕らえ、その怒りをうまくあおることで人気を保っていた。

 とりわけ、ソ連崩壊後、急速に生活苦に追われている人々には、エリツィンをはじめとする改革派の現政権をこきおろし、ロシアは世界の大国だとその自尊心をくすぐるこの男の言葉がよほど魅力的に聞こえるようだ。そしてロシア人は「強い男」が好きなのだ。クリントンよりレーガン、長嶋茂雄よりナベツネといったらわかりやすいだろうか。

 この年の3月、既にユジノにはロシア自由民主党の支部が旗揚げしていた。前年末の連邦議会選挙で、サハリン州の比例選挙の3割以上を自民党が占めており、極東での自民党人気は台風の目となってきていた。

 ジリノフスキーには建設的なプランも、裏付けも何もないのだが、夢みたいな話をばらまき、自分たちがこんな惨めな思いをしているのは外国人のせいだ−と言いたい放題いえば、大衆もカタルシスを感じるだろう。冷静に自分たちの姿を認めることは、だれだって辛いのだから。

                 

 確かに、「アメリカと世界を分かつ大国に暮らし、一生懸命生きてきた俺たちが、なんでこんな惨めな生活をしなくちゃならないんだ」という思いは、とりわけサハリンの人々の心に強まっていた。生活は苦しくなる一方で、モスクワは何もしてくれない。大陸棚の石油天然ガス開発でも、自分たちにメリットは感じられない。一部の官僚や金持ちと外国人が好き勝手にサハリンを食い物にしてしまうのではないか。そんな反発が静かに広まっていたのだから、ジリノフスキーは救世主のように見えたのかもしれない。

 
 翌日、サハリン州議会の議事堂で、記者会見したジリノフスキーは、こちらの質問に前日と同様の内容を回答した挙げ句、「天皇は、戦犯だ。極刑にしてやる」などと暴言を吐く始末。天皇の戦争責任については立場立場で意見はあると思う。だが、仮にもロシアの国会議員とあろうものが、大衆の面前で、隣国の象徴に向かって一方的に罵倒を浴びせるというのはいかがなものか。

 旧ソ連の崩壊後、西側がどれほど金融支援をしたのか、投資をしようとしているのか、まったくわきまえずにこういうアジテーションを繰り返せば、事情のわかっていないサハリン大衆の心に、日本をはじめ欧米への反発心が高まるのは想像に難くない。

 日ロ間の正常な関係を築くためには、日常的な交流、ふれあいがより重要になってきていると思う。相互の理解が進まなければ、不要な摩擦が生じるのは必至だ。それだけ双方の利害関係が絡み合う時代なのだから。