ユジノサハリンスクホットライン 95年3月12日放送
                           聞き手 FMいるか 織田亮子アナウンサー

O:今日のアトラクションコーナーは北海道新聞ユジノサハリンスク支局にいらっしゃいます田村晋一郎さんにお電話でお伺いします。田村さん?

T:こんにちは、田村です。

O:こんにちは。よろしくお願いいたします。

T:どうも。

O:え〜っ、3月8日、婦人の日についてお話を伺いたいのですがぁ。これはロシア特有の国民の祝日のようなものなのでしょうか。

T:そうですね。ロシアの祝日は、国際ナントカっていうのがよく付くのですが。

O:ええ。

                          

T:男性からすべての女性を対象にですね、贈り物、例えば花とか口紅とか、いろんな記念品のようなものを贈って、お祝いするという慣習になっていますね。日本でいう3月3日の雛祭りを、子供から大人まで対称にしているという印象ですね。

O:あぁ〜あ、なるほどなるほど、じゃあ女性のための日、みたいな1日ですね。

T:はい、そうですね。

O:はぁ〜はあっ、いいですねぇ。あのう、3月14日、日本ではホワイトディーといいましてね、バレンタインのお返しをもらう日になっているんですけども。またニュアンス違いますよね。

T:ちょっと、それとは違いますよね。すべての女性を大事にするというような気持ちの表れという感じですけども。男性は出費が大変みたいですよ。

O:ははぁ〜、出費のほうが・・・。やはりデパートですとか、あちこちのお店では、婦人の日の贈り物はこういうのはどうですかみたいな、今年の傾向などをディスプレイするんですかぁ?

T:こちらは、商売に目覚めていないというんですか、特別セールがあるとか、そういうことはないんですよね。ただ、花屋さんなんかは、この日のために花をそろえるんです。それで毎年、この時期になると花が高くなりまして、男性は財布のほうがすっからかんになって寂しいという面もありますね。

O:そうですかぁ。それじゃあ例えば職場の女性にもなにかちょっとしたプレゼントをという風習なんですかぁ。

T:そうですね。自分のお母さん、お姉さん、妹、職場の女性とか学校の先生にまでそういう贈り物をされるんですね。

O:じゃあ自分の周りにいるありとあらゆる女性になにかプレゼントをということなんですね。それは大変ですねぇ。

T:ええ、大変ですね。私も用意しなくちゃなりません。

O:実感こもっていますね、田村さん大変ですねぇ。さて、2月にも、お話を伺ったんですが、流氷、今年は北海道沿岸もかなり大量の流氷が押し寄せてきているんですよ。ロシアはいかがでしょうか。

T:はい、あのう、今年は氷が厚いという評判ですね。それで、皆さんかなり沖のほうまで氷を渡っていって、釣りに行っているそうです。氷が厚くて、ドリルで穴を開けようとしても、なかなか届かないと聞きました。

O:厚さにするとどれくらいなんでしょうか。

T:えぇとですね、30分から40分くらい歩いても氷の厚さが2メートルから3メートルくらいあるそうです。

O:あぁそうですかぁ。

T:それで、相当沖まで出ちゃうもんですからなかなか、カニも釣れないという話です。

O:はぁ〜

T:それと今年は魚もですね、あまり釣れていないという話を聞くんですけども。

O:あらぁ〜、田村さんの周りにも穴を開けて釣りを楽しむ方はいるんですかぁ。

T:はい、私も誘われていたんですけども、たまたまその時に大雪が降りまして、残念ながら行っていないのですが、皆さんの話を聞きますと、一日かかって8匹だとか、10匹だとか、さっぱりだといっていますね。

O:いやぁ、氷の上にいるわけですからすごく寒いですよねぇ。

T:もう完全装備みたいなもんですよね。服を二重三重に重ね着して。そうしてウオツカで中から温めると。

O:はははっ、そうしてがんばっても8匹か10匹というと、がっかりですよね。

T:まぁ釣れなくてもいいんですよね。自然に触れて、気分転換して、お酒を飲んで、開放感を味わえばいいんじゃないかと。

O:なるほど、ずいぶん雄大に自然を相手にしたお話ですよねぇ。

T:そうですね。

O:さて、田村さんはユジノサハリンスク支局にいらっしゃるわけですけども、まもなく日本に帰っていらっしゃるんですよね。

T:今度、道新函館支社の報道部に勤務することになります。これまで放送を聞いていただいた皆さんもぜひよろしくお願いいたします。

O:函館に決まったわけですね。そうしましたらお会いすることを楽しみにしています。ユジノサハリンスクには、どれくらいいらしたんですか?

T:ちょうど1年になります。

O:ちょうど1年ですかぁ。その期間中に、田村さんの印象深かったことって、なんでしょうか。

T:そうですねぇ、いろんな事件事故がありましたし、それぞれ印象深いんですけども、個人的には歴史的なテーマに関するものが印象深いですね。例えば、国境に関することとか、戦後日本人が抑留されましたよね。その関係の資料なんかを発掘したことなんかがすごく印象に残っていますね。

O:ははぁ、田村さんが、抑留の資料を見つけられたということですかぁ?

T:はい、こちらの公文書館とか、防諜局と言われる機関(旧KGBの後身)があるんです。そこで昨年の11月くらいにですね、少しずつ調べて、大体4000点くらいの資料を見ました。それを訳して、取材したんですけども。

O:はぁそうですか、かなりの量ですよね。

T:そうですね、ものすごい量ですね。一字一句目を通すのは大変なんですけども、まず主な内容をつかんで、資料として役立ちそうなものは、深く、細かく読み込んで点検するという作業を実質3カ月近い期間をかけましたね。写真もありましたし。いろんな記録が残っていて、なかにはスターリンの写真を傷つけたといって、反革命の罪に問われた方もいらっしゃって、その方が現在、岩見沢でご健在なんですよ。

O:あぁ、そうなんですかぁ。ははぁ〜、でも田村さんは実際にユジノにいらっしゃるわけですから、岩見沢の方とはお会いしてないわけですよね。

T:はい、わたしどもの社の別な記者が岩見沢まで訪ねまして、こういう資料があったのでと、お尋ねしたんです。そうしましたら、「よくそれがあったもんだ」とびっくりされていました。ただ、本人のお話では、箸で穴をあけたということなのですが、(調書では)フォークで穴を開けたということになっていまして、証拠物件としてフォークまで残っているんですよね。

O:変ですよね。

T:細かい点についてはでっち上げの部分もあると思うんですけど。

                           

O:ははぁ〜多少、そうやって、事実が曲げられたものが資料として残っているんですね。そこでまた生きた証人、証言があるわけですからねぇ。ははあ〜。でも、本当に貴重な資料を発掘なさって、また、先ほど国境に関してというお話もありましたね。それはどういった内容でしょうか。

T:はい、あのう、小樽で日本とロシアの国境確定会議が開かれて、ちょうど、サハリンの真ん中、北緯50度のラインで、日本とロシアの領土が分割されていたんです。その北緯50度の線上に、オホーツク海から間宮海峡にかけて、4つの大きな石が国境の標石として備え付けられていたんですけども。それが、第二次大戦で旧ソ連が南側に侵攻してきたとき、南樺太全部、ソ連側の領土になってしまったんですけどね。その後、残っていた標石も対日感情が悪化したことなどから持ち去られたり、壊されたりしました。現在のサハリン州郷土博物館にひとつ標石があるのですが(※後に複製と判明)、さらにもうひとつを、ロシアの研究家の方が辛うじて残っていたのを確認されたそうです。私も国境の方まで訪ねて、その方とお会いしてお話を伺いまして、それから壊された標石の台座とかも見てきました。

O:そういうのが残っているわけですねぇ。

T:えぇ〜。ご本人は国境について研究されていましたけども、人間にとって国境というのは本当は必要の無いものではないかと話されていたのが印象に残っていますね。人間としてもっと国境を越えた理解を深めたいという話をされていました。

O:なるほどねぇ〜。話すことは違っても別に線引きする必要はないですもねぇ。

T:そうですね。

O:直にそういったものをご覧になったわけですねぇ。お話聞いていますと、期間的にはたった1年だったわけですけども、たくさんの経験をなさったんだなぁと感じました。で、また、函館にいらっしゃるということで、また直にお話を伺うことを楽しみにしています。どうもありがとうございました。

T:今日のアトラクションコーナーは、北海道新聞ユジノサハリンスク支局にいらっしゃいます田村晋一郎さんのお話をうかがいました。