★続サハリンマフィア

 「サンサヌチというボスが殺されたそうですよ」
 94年6月、町で評判になっている噂を聞いた。
 「本当かい?このごろ大陸のマフィアが進出してきていると聞いたけど、縄張り抗争かなぁ」
 「わかりませんが、そうかもしれませんね」

 サンサヌチというのは、ニックネーム。ユジノのマフィアのボスの一人だ。8月にも、マフィアの男3人が頭を銃で撃ち抜かれる血なまぐさい事件が起きた。内務局の話では、石油・天然ガスの生産本格化を見込んで、縄張り争いが活発化してきたためだという。

 サハリンの治安悪化は著しかった。地元紙によると、その年の5月まででさえ犯罪件数は州内で約1万件に達し、そのうち殺人、強盗などの凶悪犯は約1500件を占めていた。



 当局も手をこまねいているわけではない。州内務局と防諜局は、共同で大規模な手入れも行っていた。ホルムスクのマフィアのアジトを急襲した際には、地元マフィアのボスの1人、イワンチク(これもニックネーム)を逮捕。アパートから自動小銃のAK−74、手りゅう弾12個、ライフル3丁、拳銃3丁、さらにマリファナ1キロを押収した=写真=。

 武器は明らかに軍から流出したものだ。軍自体の規律が年々乱れているのは明らかだった。軍隊でさえ、給料が遅配になる世の中だ。けっして高くもない給料が滞れば、不心得者が現れるのは時間の問題だろう。そうでなくてもマフィアの脅迫に遭えば武器を渡さざる得なくなる。

 そしてこうした取り締まりと犯罪の発生はシーソーゲームのようで、とてもゴールが見えてこない。


 この先、日本人が抗争に巻き込まれる恐れも十分ある。こういうサハリンの闇の実状をまとめられないものか。赴任前に、当時のO編集局長が「危ないところには行くなよ」と声を掛けてくれたが、記者としての血も騒ぐ。

 取り敢えず、マフィアに詳しいと思われる人物にコンタクトを取ったものの「おまえはあほか。なにをぼけたこといってるんだ」と、一蹴されてしまった。「そんなことを聞き回って、命があると思うなよ」というご忠告だ。

 うちの助手のジェーニャ君も「マフィアはおもしろいテーマだよ」といいつつ、びびっていた。

 「取材していてどこから危なくなるのか、その境目がよくわからない。情報源自体がマフィアとつながっている恐れもあります。こちらの情報が全部漏れて、それがこっちの命取りになりかねないです」

 少し前にイラン人の密入国問題を取材している際にも、事件の周辺にいる人物がいわゆる旧共産党官僚マフィアの関係する企業と取引していることがわかった。こういう人物は闇の世界と表の世界に通じているだけに一番始末が悪く、うかつに近寄れなかった。

 ジェーニャ君も「取り締まり当局は手ぶらでは何も教えてくれないけど、話を引き出す糸口に手持ちの情報を話すのも危ない」と心配してくれた。取り締まり当局から党官僚マフィア、そして本人へと我々の情報が環流するからだ。危険な連中と見なされないまでも、小うるさい目障りな奴とにらまれたら、どうなるかわかったものではない。

 モスクワ駐在のY先輩をはじめ、何人かに相談したが、結局断念した。接触すること事態にもリスクが伴う。ある日突然やってきて、情報料を支払って(犯罪者に金を渡すような取材は、我が社では認めていない)取材が終われば即帰国というような駆け足取材ならまだ良い。

 しかし、一定期間駐在していれば、取材相手のマフィアの側に何か不都合があった際、私が密告したのではと疑われる可能性もある。そして取材そのものが借りを作ることにもなりかねない。その借りを返すために、「変な荷物」を日本へついでに持っていってくれなどと頼まれれば面倒なことになりかねない。


 話はそれるが、ロシアではお互いに頼んだり、頼まれたりということがけっこう多い。でも、その助け合いがロシア人の生活を支えている面もある。博愛精神に満ちているかどうかは別として、友人は大切にする。

 実際、この国は人脈の世界といってもいい。何か困ったことがあれば、つてを頼るのはもちろんだ。日本へ一時帰国するというと、「この手紙を渡してくれ」とか「この荷物を渡してほしい」といった依頼をよく受けた。

 中には「誰から聞いたの?」と言いたくなるよう人までやってきたことがある。そして頼れば、今度は義理が生まれ、頼みを聞かなければならないという関係が生まれる。強い者が弱い者を庇護する。弱い者は強い者にすがる−それが、ロシアでは美徳でもあるように感じた。こういう頼ったり頼られたりするのは、過酷な自然と政治・歴史の中で生き抜いてきたロシア人の生きる技術のような気がした。

 と言って、必ずしもいちいち引き受けなければならないわけでもない。ある程度言ってだめならあきらめてもくれる。

 そしてどんなに世話になった人でも、自分が困るようなことになれば決然と拒むという話も聞いた。それもまた、秘密警察にいつ逮捕されるかわからない政治的歴史的環境と過酷な自然に生きてきたロシア人の「知恵」なのかもしれない。

 「何か頼んで断られたら、それはそれで仕方ない」とロシア人は言うのだが、その点、日本人のメンタリティーとしては断りづらいものだ。

 この点は、中国にも共通する部分があるようだ。孔子の子孫で、チャイニーズドラゴン新聞社編集主幹の孔健氏が著した「日本人は永遠に中国人を理解できない」(講談社+α文庫)によると、乱世を生き抜いてきた騎馬民族の中国人に比べ、島国育ちの農耕民族である日本人はお人好しだとか。中国人は自分を守るためならば、ドライに割り切るという。それが生き抜くために培われてきた知恵なのだという。

 話を戻して、直属の上司からも「内務局など公的機関の情報源から取材し、独自の情報源発掘は控えるように」と、指示を受けた。

 実は、ご忠告はそれ以前にもいただいていた。ロシア漁船によるカニの密漁と日本への密輸を取材し、記事化した時だ。

 当時、サハリン州から北海道へ輸出したカニの量より、北海道がサハリン州から輸入した量の方が大きく上回るのだから、その差は当然密輸出ということになる。治安当局もその一端を摘発していたが、本社編集局に「駐在記者の身辺の安全にご注意を」と、アドバイスがあったのだ。

 カニの密輸については、日ロ双方の闇の勢力が少なからず関わっている。そんな矢先にサハリンの密輸グループや日本から密かに北方領土へ渡ったり、国境警備隊と接触して密輸、密漁を手がけている人物について、よく知っている人物に会えることになった。

 その人物のドーマ(家)にたどり着くまで、誰かに尾行されていないか相当に気を使いながら通った。助手も伴わずに、一人で何度か通いながらわかった話は次のようなものだった。

 道東の水産関係者Aが、エンジンの故障を理由に国後島へ漁船で密かに渡り、国境警備隊の隊長に賄賂を贈って、ロシア主張領海内でも操業できるよう段取りを付けていた。その水産関係者はその後もサハリンや北方領土を行き来しており、ユジノに設けた合弁会社には、通関書類をごまかしてカニを密輸出しようとした嫌疑までかけられていた。

 しかし、これを確かな事実として報道するには、それを裏付ける補強材料が必要だ。残念ながらそこから先の取材に行き詰まった。

 疑惑の人物が事実を認めるならともかく、あきらかな疑いがあると報じるにはまだ材料不足だった。そして肝心の情報源を守りきれるかどうか、自信を持てなかった。少なくともその情報源は、公の席で自ら証言する気はなかった。あくまで匿名が条件だった。

 日本とは違い、治安の悪いサハリンでは何があってもおかしくない。その情報源に危害が及ばないという保証もない。それだけにデスクから「取材には、気を付けてくれ。公式情報だけで十分だ」と慎重に対処するようにいわれ、あきらめざる得なかった。