漠、ラクダ、オアシス、古代遺跡−。シルクロードといえば、はるかに遠いそんなイメージを思い浮かべがちだが、実際にはあらゆる分野で現代化の息吹もたくましい。

  たとえば、中国新疆ウイグル自治区の区都ウルムチ。シルクロードの要衝として古くから知られたまちだが、いまでは高層ビルが林立する活気あふれる大都市だ。

 市内には、乗客を詰め込んだバスがひっきりなしに走り、タクシーがクラクションを鳴らしながら疾駆する。相次いで開業している百貨店に入れば、香港、東京にも劣らないしゃれたファッションが並ぶ。
   最近、市民の人気を集めているのは、店内で製造したパンやケーキをセルフサービスで売るパン屋さんだ。

  もっとも、ウイグル族が集中する地区では、露天の羊肉のくし焼き売りが香辛料の香りをあおぎたて、イスラム教のモスクからはコーランの朗詠が響き渡る。パン屋で売られるケーキは、日本のものと一見変わりはないが、イスラム教の教義に基づいて調理されたことを示す「清真」の文字が必ず包装紙に印刷されている。

  イスラム教の教えを尊重する伝統的な暮らしぶりと現代化した生活様式との混交が、不思議な魅力を醸し出している。


疆ウイグル自治区のタシクルガン・タジク自治県は、パキスタンと国境を接する最西端の地。中国の文献に古くから「葱嶺(そうれい)」と記されてきたパミール高原の核心部だ。

  標高は3000メートルを超える。平地から車で到着した直後は頭がガンガンと痛む。高山病だ。無理は禁物。日は高いが賓館(ホテル)のベッドに体を横たえた。目覚めると、高度に慣れたのか頭痛はうそのように消えていた。高原をわたる風がさわやかだ。窓の外には鋭い岩峰に雪の純白がまぶしい。地元産の「★米爾(パミール)」ブランドのミネラルウオーターを飲む。うまい。

  夕やみとともに笛と太鼓の音が聞こえてきた。小さな体育館のようなホールでタジク族の踊りが始まった。着飾った娘たちが薄絹を広げながらクルクル舞う。

 タジク自治県は、タジク族の県。タジク族は中国の五十五の少数民族のうち唯一イラン系言語を使う人々だ。

  胡姫の貌(かんばせ)花のごとく
◆(ろ)に当たって春風に笑う
春風に笑い羅衣もて舞う
君今酔わず将(まさ)にいずくにか帰らんとする

  唐の詩人・李白は長安(現・陝西省西安市)の酒場で舞う胡姫をこううたった。「◆に当たる」とは酒場に立つこと、羅衣は薄絹。東洋史学者の故・石田幹之助博士は、この「胡姫」はイラン系の女性だったろうと考証している。

 いま目の前で舞うタジク族の美少女たち。李白たちを惑わせた胡姫の末裔(まつえい)なのだろうか。


(注)
★は「巾へん」に「白」
◆は「土へん」に「廬」


から降りたとたん、ジリッと熱い空気に包みこまれた。まだ6月中旬というのに敦煌の気温は早くも38度、いや40度に達しているかもしれない。

  かつて井上靖の小説で一躍日本人のあこがれの的になった敦煌は中国の奥地、甘粛省の西北部にある。緯度は北緯40度6分。日本で言えば、秋田県、岩手県に相当するのだが、この標高1100メートルの地にあるオアシス都市は内陸性気候のため、夏は最高気温が40度を超え、冬は最低気温氷点下25度以下にもなる。

  現代の敦煌に異民族・匈奴(きょうど)との戦いに明け暮れた、いにしえの旅情を求めるのは間違いである。

   街には四つ星クラスのホテルが立ち並び、鳴沙山(めいささん)、莫高窟(ばっこうくつ)といった名だたる名所・旧跡は日本人、欧米人らの観光客であふれている。なにせ成田から飛行機を乗り継げばその日のうちに着いてしまう。

  取材班はわずかながらでも漢の名将、李陵や衛青の気分に近づいてみたいと、飛行機をやめ車にした。甘粛省の省都・蘭州から泊まりを重ね、砂漠を眺めながら時速百キロ以上で突っ走った。走行メーターが二千キロに達した時、暑熱の敦煌に到着した。

  レストランでビールを飲んだ。このあたりでは冷えたビールにお目にかかることは難しい。しかし、乾燥した暑さの中では、ぬるいビールでも、のどごしは妙にいけるのだ。