ドイツの地理学者リヒトホーフェンは19世紀末に著した大著「ヒーナ(チャイナ)」のなかで、中央アジアを走った交易路を「ザイデンシュトラーセン(絹の道)」と表現した。シルクロードはその英訳で、ユーラシア大陸の東西を結んだ交易路の名称として使われるようになった。
中国でも、日本でのシルクロード熱の高まりの影響などを受け、最近では「絲綢之路(絹の道)」という言葉が頻繁に使われるようになっている。
現在では、一般に
《1》中央アジアの乾燥地帯を走ったオアシス路
《2》その北の草原を抜けた草原路
《3》アジア大陸の南の海を結んだ南海路
の三つのルートがあったとする見方が有力だ。
あくまでも概念的、包括的な表現で、「東海道」とか「国道5号」といった具体的な名称とは異なる。学術研究のなかで「シルクロード」を使用する研究者もいれば、明確さを欠く表現であるとして使用を避ける研究者もいる。
どこからどこまでという確立された定義もない。「長安からローマまで」ともいわれるし、「東の果ては奈良の正倉院」ともいわれる。シルクロードという言葉を使う人の数だけシルクロードはあるともいえる。
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