漢の武帝は、張騫(ちょうけん)を大月氏(だいげっし)へ派遣する一方で、矢継ぎばやに匈奴攻撃の大軍を繰り出した。

  この対匈奴戦役のころ、中国には綺羅星(きらほし)のごとく名将が輩出し、それはちょうど、第二次世界大戦のとき、アメリカのアイゼンハワー、ブラッドレー、パットン、マッカーサーなどの将軍が功を競ったのを思わせる。

  ちょっと思いつくだけでも、衛青、李広、霍去病、李陵などの名がすぐにのぼってくる。

  それぞれ詳しくは、『史記』や『漢書』、それに中島敦の名作『李陵』を見ていただくとして、私が好きなのは、李広と霍去病だ。李広は弓の名手で、匈奴から「飛将軍」と恐れられ、虎だと思って石を射通したという伝説を持つ。

  また霍去病は驃騎(ひょうき)将軍の称号を持ち、六回出撃して不敗の記録を誇るが、二十代前半の若さで亡くなった。その墓は武帝の茂陵の傍らにあり、現在は茂陵博物館となっていて、有名な「馬に踏まれる匈奴」の石像がある。

  フフホトで、内モンゴル文物考古研究所の先生と話をしていて、うっかり「私は霍去病が好きです」と言うと、さっそく「かれは匈奴を倒した側じゃないか」と目を三角にするので、あわてて「漢も匈奴もどちらも英雄だったということです」と答えたら、先生は大いに喜び、こちらはほっと胸をなでおろした。

  二千年前のことでも、民族意識は強烈だ。

(濱田英作・埼玉女子短大教授)