シルクロードの支配をめぐる匈奴と漢との争いは、衛青や霍去病の活躍によって匈奴が河西回廊を失った後は、漢民族の植民による西への開拓発展に対する匈奴の妨害という形に、しだいに転化していった。

  漢は長城沿いに烽燧(ほうすい=烽火台)と塞(さい=とりで)を設け、烽燧には戍卒(じゅそつ)という警備兵、塞には騎兵を駐屯させて、かれらに食糧を供給する屯田兵たち、また開拓のために移住してきた農民たちを守った。

  もし匈奴が侵入すれば、戍卒はすぐに狼煙で警報を発し、それを受けた騎兵はただちに塞を出て、匈奴を撃退しに向かうのだ。こうして、辺境の開拓地は、しだいに郡や県が置かれて、中国の一部になっていった。

  こんな風景を、私たちは、じつは簡単に思い描くことができる。何のことはない、ジョン・ウェインの活躍する、ジョン・フォード監督の数々の西部劇を考えればいいのだ。

  舞台は広い大平原。ほろ馬車や駅馬車を襲うアパッチ族。砦から出撃する騎兵隊。新開地に集まる流れ者。騎兵隊に協力する先住民。あるいは逆に、先住民に武器を売る密輸商人。

  漢代に設置されたばかりの武威・張掖・酒泉・敦煌の四郡の姿は、まさにたかだか百数十年前のアメリカ西部と、さして変わらなかったに違いない。

  要するに、アメリカ先住民を匈奴、ライフルを弩(ど)、電信を狼煙に、それぞれ置き換えればいいだけのことなのだから。

(濱田英作・埼玉女子短大教授)