シルクロードといえば、われわれはすぐに華やかな文化交流を連想するが、じつはこの道は、つねに紛争と戦乱の舞台であった(ある)ことを忘れてはならない。

 いきなり身もふたもない話で恐縮だが、なんで人間、命を的にしてまで砂漠を渡るのかといえば、あたりまえのことながら、それは銭金のためである。このインターネットとケータイの現代にあってもなお、飛行機は命知らずのビジネスマンで満席ではないか。

 だからそこには当然、その銭金を巻き上げようと考える者たちが出てくる。西遊記の妖怪(ようかい)ではないが、シルクロードの谷ごとに、峰ごとに、部族の長だの盗賊の頭目だのがいて、通行税や関税を取り立てる。もしも抵抗すれば皆殺しだ。一方、略奪者同士の縄張りや利権をめぐる争いも、また日常茶飯事だ。

 こうして紛争は絶えず、ついには戦争に発展する。地中海から中央アジアまで、火種はつねにくすぶっている。タジキスタンの悲劇はなお記憶に新しいし、バーミヤーンの大仏とその壁画も、イスラム原理主義のタリバーンの手によって傷つけられてしまった。

 だがそんな悲惨な道が、同時に、不滅の煌(きら)めきを持つ宗教や、思想や、芸術を伝えていったのだ。

 それはいったい、なぜなのか。人は何のために、道を往くのか。

 これこそが、シルクロードを考える際に課せられる、最大のテーマなのではないだろうか。

(濱田英作・埼玉女子短大教授)