安息、つまりパルティア国は、イラン・スキタイ系の「アルシャク」王家が支配していたから、中国に「安息」と音訳されたのだが、この王国が支配していた西アジア、とくにぺルシア湾岸は、地図を見ればわかるように、北の草原の道、砂漠のオアシスの道、そして海の道のすべてが、シリアや地中海へ向けて収斂(しゅうれん)する最重要地帯にあたっている。

 パルティアはここを押さえて、シルクロードを通過する商品に関税をかけ、中国の絹の流通を牛耳っていたのである。

 だからローマはパルティアを打倒して、東方のかつてのヘレニズム圏を確保し、絹や香料を安く手に入れたい。また西方への勢力拡大による交易独占をもくろむ中国にとっても、安息は目の上のこぶである。ここに、後漢の班超が甘英を派遣してローマと同盟しようとする、十分な理由が成立する。

 一方、これをパルティア側から見れば、東と西から強大な帝国に挟撃されかねない、国家存亡の危機である。しかもかりに軍事・政治的には持ちこたえても、もしローマと中国の間に直接交易のルートがつけば、中間貿易の利益は失われ、やはり国力の低下を招く。

 そこであの、「安息西界の船乗り」の登場だ。かれは、パルティア当局の指令を受けて 、甘英に恐ろしげな話を吹き込んだ工作員だったのか。それとも、ほら話の好きな、典型的なただのマドロスだったのか。

(濱田英作・埼玉女子短大教授)