北海道に6年住んだ身としては、東京でいくら札幌ラーメンを食べても、そのほんとうの味覚は分からないと思う。これは道産子ならずとも「そのとおり」と納得するだろう。

 そのくせ「エスプレッソはやっぱりパリでないと」などと言うと、とたんにいやな顔をするのは妙ではないか。食べものや飲みものは、やはりその生まれ育った気候風土や生活の中でこそ、本来の存在理由を持っている。

 エスプレッソは、ラテン文化で育て上げられたコーヒーだが、その元祖は、オスマン・トルコ時代の、アラビア伝来のコーヒーだ。

 エジプトのアレクサンドリアといえば、暑くて乾燥しているところだし、日本人としては当然、清涼飲料水がぴったりくるような気もする。ところが地元の人は、そんなものではなくて、コーヒーを飲む。

 カフェに入ってコーヒーを頼むと、やがて壺(つぼ)を仰々しく運んできて、デミタスよりもさらに小さめのカップに、ひしゃくですくったコーヒーを、高い位置から注ぎ入れる。

 そのコーヒーはどろりとして甘く、およそリフレッシュメントからはほど遠い感じだ。

 だが、水煙草を悠然と吸う老紳士の隣に座って、地中海の香りを運ぶ風に吹かれながらそのコーヒーを飲むと、うそのように疲れが取れて、気分がすっきりとするのだ。

 日本国内にせよ、シルクロードにせよ、行かなければ分からないことも、また多い。

(濱田英作・埼玉女子短大教授)