久しぶりに奈良に足を運んだ。東大寺の周辺は、大仏殿の屋根の大修理以来、まるで見違えてしまったが、これはまちづくりの上で「シルクロードの終着地」だという国際的位置づけを、意識的に明確化しようとしたからだなと、すぐに私は感じた。

 それが最もよくわかるのが、まさに大仏殿のパースペクティブで、回廊まで含めた整備の結果、以前とは比較にならない壮大なスケールをもって、見上げる者に迫ってくる。

 そしてこの結果はっきりするのが、東大寺の大伽藍(だいがらん)はまごうかたなくシルクロードの石窟(せっくつ)寺院の後継者だという事実だ。

 日本には、石窟寺院を掘れるような巨大な崖(がけ)はないので、しかたなく山のふもとに伽藍を造営する。しかしそこには仏像を彫り出せるわけもない。でも三千世界の中心となる仏様は必要だ。中国にも前例はあるし、いっそバーミヤン(アフガニスタンの古代都市)の立像を座らせてしまえば……?

 これが大仏殿だ。奈良市が平城京の再来ともいうべき国際都市を構想していることが、こうした景観整備からもわかるではないか。

 ただ、バブル以前の、少しさびれてはいるが、小ぢんまりとして親しみやすい、土門拳の奈良を覚えている者にとっては、この「平城インターナショナル」コンセプトはちと大味にすぎ、草むした戒壇院と鹿(しか)せんべいでよかったのにと思ったりして、人間とは勝手なものだと、われながら感じる。

(濱田英作・埼玉女子短大教授)