海の道は文字どおり海上航路で、シュメール時代の粘土板文書に、たぶんペルシャ湾岸の「ディルムン」地方との貿易の記録があるから、すでにそのころから存在していた。のちにこのルートは、地中海−紅海−ペルシャ湾−インド沿岸−ベンガル湾−東南アジア沿岸−南中国を結ぶものとなる。南伝仏教もイスラムも、この道を経由して広まった。

  重要な交易品は、なんといっても東南アジア島嶼(とうしょ)部原産の「香料」で、食用に薬用に、なくてはならぬものとして珍重された。

  宋代に入って中国で窯業が大発展をはじめると、「陶磁器」が大量に船積みされ、西アジアや中近東、ヨーロッパへと輸出された。デルフトやマイセンが中国陶磁のコピーから出発したのは、よく知られた話だ。後には日本の伊万里なども、この道で運ばれた。

  大航海時代を迎えると、このルートには西欧諸国が参入し、なかでもスペインやイギリスは、海の道を足場として、海洋帝国を築いたのである。この時代には「茶」が交易品として加わり、それは英国文化の粋となった。

  海の道の重要性は、現代になっても衰えてはいない。ペルシャ湾は産油ルートとして世界のライフラインを形成しているし、マラッカ海峡は、エネルギー小国、日本の生命線だ。

 海の道は、質的にも量的にも、もっともダイナミックに東西の接触と交流をもたらしたシルクロードだといえよう。

(濱田英作・埼玉女子短大教授)