北京といえば中国の首都だが、シルクロードにはあまりかかわりがないと思っておられる方も多いのではないだろうか。

 ところがここは春秋時代の燕(えん)以来、西北のステップとつながりを持つ騎馬遊牧民、東北の森林から沿海州にかけて関連の深い騎馬狩猟民、そして漢民族の三者の接触する要衝として、つねに繁栄してきた場所なのである。

 遊牧民であるモンゴル族の建てた元も、また狩猟民である女真(じょしん)族の建てた金や清も、中国全土を平定するため、なによりも北京を都に定めたのだった。

 その点からすれば北京には、砂漠の文化、草原の文化、森林の文化、それに大運河を通じて南方の文化も流れ込んだのであり、まさに中国シルクロードの要素がすべて凝縮されている場所といってもよい。

 第二次世界大戦前の北京の写真を見ると、故宮の城壁のかたわらを、ラクダを連ねた隊商が通っている場面を撮影したものがある。

 また、十年前、私が北京大学に留学していたとき、大運河の終点を見学しようと、北京の東にある通県という町に行ったことがある。運河そのものはすでに廃れて汚いドブ川になっていたが、驚いたのは、やれ草の生えたその岸辺を、羊飼いが羊の群れを引き連れて通り過ぎて行ったことだ。

 まさに北京もシルクロードなのだと、あらためて実感した経験だった。


(濱田英作・埼玉女子短大教授)