ユーラシア大陸において、シルクロードが経由していたのは、例外なく大帝国の繁栄した地域だった。それはオアシスの道を中軸に、東は中国に始まり、南北インド、ペルシャ、ローマと連なるところだ。あとはそれらの係争地だったり、緩衝地帯だったりと、時代に応じてさまざまだ。またステップの道を見ても、そこには匈奴(きょうど=フン)、突厥(とっけつ)、ウイグル、モンゴル、トルコといった遊牧帝国がしばしば成立している。

 これに対して、かつては辺境だった欧米が(日本も含めて)、帝国主義列強の姿をとって、文明システムとして圧倒的優位に立つのは、たかだか200年足らず前からのことに過ぎない。だがいまや、それがグローバル・スタンダードとなって、ユーラシアはおろか、全世界を席けんしているのである。

 思えば、これはちょうど、ある町にバイパスができて、かつて栄えた本通りがさびれてしまったという様子にも例えられよう。その昔は、〇〇銀座とか称して老舗(しにせ)が軒を並べてにぎわっていたのに、高度成長時代がきて、4車線のバイパス沿いに全国展開する、大きな駐車場付きのパワーストアに次々に客を奪われ、とうとう大資本をバックにした地上げ屋にむしり取られてしまったというわけだ。

 だから、シルクロードの再生と北海道のまちづくりとは、コミュニティー構想の上で、案外共通するところがあるかもしれないのだ。


(濱田英作・埼玉女子短大教授)