「セリンディア」ということばがある。「絹の国」を意味し中国を指す「セリカ」と、「インド」との合成語だが、現在では、その意味するところには、より深いものがあるようだ。

 それを簡単にまとめると、「セリンディア」とは、北伝仏教(いわゆる大乗仏教)がインドに始まり日本へ到達した長い道のりと、それに要した一千年という時間とをともに含む、壮大な「時空間」としての概念だという。

 言いかえればそれは、「北伝仏教一千年の道」であり、その最も大きな部分を占めているのが中央アジアであって、それを貫いているのがオアシスの道というわけだ。

 では欧米人が、なぜあらためてセリンディアに注目しているのか。じつはこの、仏教伝来の「一千年」は、キリスト教が生まれ、カトリックがヨーロッパに広まった一千年と、年代的にほぼぴったりと重なるのだ。

 カトリック世界が「セリンディア」に着目しはじめたというのは、さすが慧眼(けいがん)というほかない。なぜなら、アジアで唯一欧米の競争者となった国、わが日本が、その文化を構築する上でもっとも重大な役割を果たしたのは、インドで芽吹き、ガンダーラで成立し、中央アジアで確立された、北伝仏教にほかならないからだ。

 「文明の衝突」の著者、ハンチントンも、千年単位で物事を計るバチカンには、一歩も二歩も譲っているようだ。

  (濱田英作 埼玉女子短大教授)