昨今のシルクロードは、インドとパキスタンの核開発など、残念ながら、きなくさい話題ばかりだ。だがきなくさいのも当然で、報道によれば、インドの核ミサイルの名称は、ヒンズー教の火の神「アグニ」だという。

 私にはむしろ、この名は、小学生のころ読んだ芥川龍之介の短編「アグニの神」を思い出させる。恐ろしげな神をあやつるインド人の妖婆が登場するこの小説もまた、その摩訶(まか)不思議な世界によって、私がシルクロードに興味を持つ遠因となった作品のひとつだ。

 アグニは本来、はるか昔のインド・ヨーロッパ語族の神格で、インドへはアーリア人によってもたらされ、いまなお尊崇されている。

 ところでこのことばは、ラテン語ではイグニスとなり、やはり火を意味する。これが英語のイグナイト(点火する)などの語源だ。

 となると、アポロ宇宙船や、スペース・シャトルの打ち上げのとき、発射まであと数秒というところで、管制官が「イグニッション・シーケンス・スタート(エンジン点火開始)!」と叫ぶのは、考えようによっては、印欧語族の一派、アングロ・サクソン族の末裔(まつえい)であるアメリカ人が、その言語に残る古き記憶の中の火の神、アグニの名を呼んで、そのご加護を祈っているといえなくもない。

 このような最先端のハイテクにまでシルクロードが隠れているとは、いかな芥川でも考えつかなかった摩訶不思議だ。

  (濱田英作 埼玉女子短大教授)