古代の文物の展覧会には変わらぬ人気があり、いつも大勢の見学者がつめかけては、展示されている名品に、熱心に見入っている。それらは、昔の人々のすぐれた文化や、精神性や、造形力の発露といって差し支えないし、また作った人が生きていた時代や歴史というものを、いまにも語りかけてくるようだ。

 だがここで、あえてひとつ指摘しておこう。いま私たちが感心して眺めている展示品のかなりの部分は「出土遺物」なのであり、どこから出土したかと問えば、それは「墓」からであることが多いのである。

 こうした品は「副葬品」とか「明器」と呼ばれ、そのほとんどが、死者があの世で使用するために、日用品とはまったく違う目的で、特別に製作したものだ。鎮墓獣しかり、三彩しかり。そしてその最たるものが、あの金糸や銀糸で精密に綴じ合わせた玉衣だ。周知のごとく、あれは遺がいを包む帷子(かたびら)なのである。

 つまりそれらは本来、心をこめて葬った、大切な人のためにだけ作られた私物なのだ。日本でも、故人が生前愛用した品を棺の中に入れたりするものだが、もしそれが何百年か後に博物館に麗々しく飾られたら、と考えれば、だいたいそのことは感覚的にわかるのではないか。

 死者を悼む気持ちに、シルクロードも日本も変わりはない。だからこれらの品々を見るときは、私たちは、そうした心持ちをくんで、敬けんに「拝観」するべきだと思うのだ。


  (濱田英作 埼玉女子短大教授)