戦争の悲惨さ議論/平和の尊さ学ぶ 室蘭市立東中学校 宮重 徹三 先生

 「DROP YOUR GUNS」。厳寒の夜空に、サマランチIOC会長の声が響く。1994年のリレハンメル・オリンピック開会式テレビ中継で、私の心に残ったものを確かめたくて、翌朝の道新を開くと「戦いをやめよ……異例の平和スピーチ」の見出しが目に飛びこんできた。この記事と開会式のビデオ、セルビア人だけのオリンピックのビデオを生徒と見る。

 「くだらない戦争によって、人々は夢と希望を失った。もう二度と戦争はしないでください」「開会式はすばらしい。すべての地域に平和が訪れることを祈った」。生徒はこんな感想を持った。

 私が「NIEでの平和教育」を初めて意識したのは1991年の湾岸戦争だった。「湾岸戦争で心に残った記事を持ってきて話し合おう」と生徒に呼び掛ける。

 「なぜブッシュ大統領は撤退期限を延ばさなかったのか」「フセイン大統領は、なぜ原油を流したのだろう」「人間の勝手で関係のない生き物まで苦しめている」。油まみれの二羽の鵜(う)の写真と「人間よ」というキャプションが私たちの心に残る冬の出来事だった。

 二年前、生徒のスクラップ・ノートの中に、内戦と干ばつによる食糧不足でやせ細ったスーダンの子供の写真と、ユニセフの募金活動の話を見つけた。さっそくテーマにして話し合う。「私より小さい子が、なぜこんなイヤな思いをするのか」「私たちは幸せだとしみじみ感じた」。生徒は、平和の尊さを心に刻んでいった。

 今年、読書クラブの生徒は、学校祭に向けて、スクラップを中心に「少年犯罪」について調べた。そして「絶対に人を殺してはいけない」と主張した。生命の大切さを考える彼らの取り組みを見守るのも平和教育だと思う。

 「生命の尊さ」と「地球に対する人間の責任」。二つの視点が私の理科教育の柱と考えている。だがこれは教科だけにとどまらず社会教育、家庭教育、学校教育の根幹ではないだろうか。

 そして、それが平和教育であり、NIEはそのための強力な手段であると思う。  「戦争について子供たちが考え継いでゆくことは、歴史をつくる上で欠かせないことだと思います」。高校生からもらったメールがうれしい。

戻る