穴のあいた水道管
去る1月17日は阪神淡路大震災の4周年にちなんだ企画がマスメディアにあふれた。
その中で特に光ったのは、NHKの震災復興予算に関する追跡調査であった。確かに、神戸の復興に何兆円もの予算が投入された。しかし、被災者の生活実感としては、元通りの生活や生業がよみがえったとは言えない。
小渕首相は道路や港湾などのインフラの復旧が進んだと自慢するが、まさにそれらのインフラ整備が優先されたがゆえに、生活実感としての復興がまだまだなのである
。
NHKの調査によれば、道路の被災額を大きく上回る道路復旧費が投入されたという。これでは、震災を奇貨として建設官僚とゼネコンが仕事を増やしたと言われても仕方がない。住み慣れた町には戻れない被災者、人が戻ってこないため元のような商売ができない商店の現状が、印象的であった。
本当の復興策とは、そこにすむ人間の生活を守るためのもののはずである。神戸の震災復興策の問題点は、そのまま日本全体の景気対策の欠陥につながる話である。バブル崩壊以後7年間にわたって百兆円以上の「緊急」景気対策が積み重ねられた。しかし、ふんだんに予算を投じているはずなのに今ひとつ経済政策の効き目が感じられない。
一体それらの金はどこに消えたのだろうか。要するに、旧態依然たる仕組みの中で公共事業を積み上げるばかりなので、将来の生活基盤や先端産業の強化、育成につながっていないということではなかろうか。実際、道内でも市町村を歩けば、「国から公共事業補助金を消化せよとの矢の催促だが、地元には適当な公共事業が見つからない」という悲鳴を耳にすることが多い。
現在の日本における政策決定の仕組みは、穴のあいた水道管のようなものである。国民の渇きを癒すためにと水を流し込んでも、途中あちこちで漏水を起こし、蛇口をひねっても、か細い流れにしかならない。本来、行政改革や地方分権は、そうした水道管を更新し、必要なところに適切に水を流す仕組みを整備するための改革のはずである
。
自自連立は、穴のあいた水道管を直すことができるのだろうか。それとも、漏れだした水で渇きを癒すのだろうか。筆者には、どうも後者のような気がするのだが。
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