減税論議に思う
年末の予算編成時期を迎え、景気対策の声がひときわかまびすしくなった。もちろん、雇用の創出や福祉のために財政出動が必要だとは思うが、景気刺激のための大型減税をという主張に対しては違和感を禁じ得ない。
来年度は最大規模の所得税、法人税の減税が行われることが決まった。しかし、私には分からないことがある。国民所得に対する租税と社会保険料の負担率を比較すれば、約38パーセントと、日本は米国と並んで先進国中でも最低水準である。
また、国内総生産に対する公共投資の比率も、7パーセン卜程度で、欧米諸国の2倍から3倍の水準である。これだけ税を安くし、多額の公共事業を重ねても、国内の景気はこの数年伸び悩んでいる。これだけ刺激的な財政構造を続けても効果が薄いのならば、これ以上減税や公共事業を積み重ねても、結果は知れているではないか。
また、参院選後の政局の中で所得滅税という言葉が一人歩きして、誰にとってのどの程度の減税かが曖昧なまま、ともかく所得減税を行うことだけが規定方針となった。日本では、確かに累進課税の税率上昇はきついが、課税最低限は世界最高であり、中堅から下の所得階層にとっての所得税負担は小さい。
このような構造の中で所得減税を行おうとすれば、どうしても累進制の緩和、金持ち優遇の所得減税という結果にならざるをえない。年収900万円以上の階層にしか減税の恩恵が及ばないというのは、今の日本で所得減税という政策を採択したことの必然的な帰結である。
平均的サラリーマンにとって、この滅税は羊頭狗肉でしかない。しかし、もともと所得税の負担が小さいこれらの人々が所得減税に多くを期待すること自体が、間違っていたのである。ここに私は、現在の日本における政策論議の貧困を見出す。金持ち優遇の所得減税といえば反対する人は多いが、漠然と所得減税といえば誰も反対しない。所得減税が何を意味するかを理解できなかった学者やマスコミは一体何をしていたのだろうか。あるいは、それらの人々はこの機会に金持ち優遇の減税を実行しようという確信犯だったのか。
これからの日本では、政策論議は常にゼロサムゲームである。誰かが得をすれば、必ず誰かが損をする。政策の悪徳商法に、国民は十分気をつけなければならない。また、掘り下げた政策論議を進める上で、マスコミの果たす責任もきわめて大きい。
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