北海道の何が試されているのか

 北海道の新しいキャッチコピー、「試される大地」が話題になっている。役所にしては思い切った言葉を選んだものだと、最初は私も感心した。しかし、北海道の何が試されているのか、北海道の政治、行政、経済に携わっている人間が本当に理解しているのだろうか。最近の危機への対応策を見て、この疑問を感じざるを得ない

 拓銀の営業譲渡にともない、同行が巨額の不良債権を抱えている地崎工業の処理が問題となっていた。道庁の強い希望により、地崎は救済されることとなった。この不良債権に対する引き当てはすべて公的資金によってまかなわれる。同社が債務を自力で弁済することは考えられない以上、国民の税金で債務を肩代わりすることになったも同然である。地崎の倒産は関連企業への影響も大きく、なんとしても避けるべきというのが道庁の言い分である。確かに、連鎖倒産を防ぐことは必要である。しかし、だからといって、明確な再建案もないままで、死に体の建設会社を税金によって救済することが最善の方法なのだろうか。この間の道庁の行動は、行政機関としての役割を逸脱するものであった。

 今試されているのは、公共事業偏重、官依存の北海道の構造自体である。一企業の救済に道庁が奔走するという構造が、まさに試されているのである。官依存からの脱却は簡単な話ではない。道庁が「試される大地」というスローガンを唱えて道民の危機感を喚起するのならば、少なくとも方向性において官依存を脱却するような政策を提起しなければならない。官依存からの脱却の意識改革さえ、官主導でしか実現できないとすれば、まさに喜劇である。

 私は、サッチャリズムのような冷酷な政策を推奨しているのではない。いきなり経済的に自立せよというのは無理な話であって、自立するための条件を整備するためには行政の役割が大きい。そのためには、腐朽した古い会社の延命ではなく、新しい起業家を支援することこそ必要なのである。また、一時的に職を失った人々に対して、能力開発のための投資を行い、質の高い労働力を作り出すことこそ急務である。

 今回の救済劇については、マスコミも十分な報道や論評をしたとはいえない。また、学者も的確な政策提言をしなかった。北海道を支えてきた行政、マスコミ、大学などエスタブリッシュメントがまず試されているのである。