僕が民主党に本気になれないわけ
世の中はインターネット時代とはいっても、このホームページを読む人は、紙面の私のコラムを読む人よりは少ないに違いない。しかし、それは普段言いたくてもなかなか言えないことを書けるという利点にもなる。最大野党民主党に対する私の評価もそうした話題である。
私は七,八年前からかつての社会党やさきがけと深くつきあってきた。自民党に対抗する政党を作りたいという思いが政治学者としての研究を支えてきたと自負している。菅直人とも親しく、彼を首相にしたいという思いもある。本来なら、民主党結成に当たって鉦(かね)太鼓を叩いて盛り上げる役割に回らなければならないのだろう。しかし、今の民主党はどうにも旗を振る気になれないのだ。菅を首相にしようと動き回っている親しい学者を見ると、「よくやるよ」と冷ややかに見てしまう
なぜだろう。最大の理由は、首相が菅に替わったとしても、新政権は一体何を変えるのか見えてこないということである。民主党を構成している政治家の顔ぶれを見ると、言葉の上での自民党との対決とは裏腹に、景気対策や公共事業に対する態度は自民党と同じに思える。いくら景気が悪いからといって、恒久減税などと国民のご機嫌を取るようなことをいってはいけない。その点では、自民党の方がよほど責任感をもっている。
もう一つは、菅を支え、主要閣僚になるべきスターが民主党内にいないということ。民主党の役員の顔ぶれを見ると、世代交代が必要なのは自民党よりもこっちの方だと悪態をついてしまう。たとえば、米国政府に対して日本の国益を堂々と主張できるような政治家はいるのか。事なかれ主義の官僚に対して、官民の不良債権問題(苫東問題は官の不良債権)の処理を断行するよう指揮できる政治家はいるのか。
民主党を批判しても埒はあかないことは百も承知だったからこそ、この党に対する表だった批判は避けてきた。しかし、首相の首をすげ替えれば物事が良くなるというのは幻想である。明確な政権構想なしに政権交代を起こした失敗は、細川政権の時に学んだはずである。参議院選挙でも民主党は勝てないであろう。日本の政治の何を変えるのか、しばらく沈思黙考した方がよい。
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