情報化時代の北海道

 今月から、このホームページの中にコラムを持つことになった。私もコンピュータを持ち、電子メールはしばしば使っているが、インターネットはあまり利用していなかった。その意味で、これを機会にインターネットの可能性を考えてみたいと思っている。

 私は今年の4月から半年間、イギリスのオックスフォードに滞在した。そのときにはインターネットの威力を思い知らされた。イギリスにいても、インターネットを通して日本の新聞のエッセンスを読むことができ、まさに世界は狭くなったものと思い知らされた。情報ネットワークが本格的に整備されれば、今までのような海外紙、全国紙、地方紙といった壁が低くなるに違いない。これからは、地方の新聞といえども、他の地域の人も読むという前提で作らなければならない時代となるだろう。

 そのことは、北海道にとって大きな機会の到来を意味すると思う。北海道を見れば世界が分かるとまでは言わないにしても、北海道を見れば21世紀の日本を考えるためのカギが見えてくると私はまじめに思っている。環境問題、行政改革のあるべき姿、さらに根本的な話をすれば、効率優先の産業社会に生きるのか、豊かな田園生活を選ぶのかという21世紀の日本人の価値観。どれをとっても北海道が抱えている問題に取り組む中から出口が見えてくるのではなかろうか。

 中央政治に北海道が登場するのは、たいてい予算陳情とか、開発庁廃止反対など政府に何かを求める場面であった。そのことは、都会人の中に、地方は中央におんぶするだけという地方に対する誤ったイメージを作り出した。しかし、この北海道で様々な人々が実際に生き生きと動いている様子を見せることによって、他の地域の人々もインパクトを受け、中央と地方の不毛な対決は克服できるはずである。

 実は、私の祖父は明治30年代にはるばる岡山から当時の札幌農学校にやってきた。そのころ岡山から札幌まで行くのは汽車で5日がかりだったという話を子供の頃よく聞かされたものである。それが、今やどこにいてもインターネット版の道新を読んで北海道の情報を獲得できる時代となった。祖父の時代の北海道は未知ゆえのあこがれの地であった。これからは、情報の豊かさゆえのあこがれの地に北海道をしていかなければならない。