読んだ本:《青空のむこう アレックス・シアラー著(求龍堂)》
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もし私が突然に理不尽な死を迎えたならば必ずこう言うだろう。「なぜ私が」と。私はまだ何十年も生きるつもりだったのだし、身の周りの整理すらついてはいないに違いない。主人公のハリーもまた同じだ。トラックにはねられるという事故にあい、死んだ彼はこう言う。「死ぬはずじゃなかったんだけど」。そうしてハリーは死者の国から元いた世界へ戻るのだ。もちろん私もそうするだろう。何も為す事なく、全てが中途半端なまま死ぬのは私にとって何よりも恐ろしいからだ。 しかし戻るという事は、誰が私を認めてくれるでもない世界へ行くという事だ。伝わらないと知っていながら、それでも私は知り合いに呼びかけ続けるだろう。やがて、嫌でも私はここにいてはいけないと悟らされる。一人もふりむいてくれないのは全て、私が死んでしまったからなのだから。 生きている、というのは、私たちが考えている以上に素晴らしい事なのだろう。人生は単純な日々の繰り返しだと私は考えていた。だがその円環の中にこそ、死んでは得られない変化が多くあるのだろう。クラス替え、委員の変更など、日常的なことですら生きていなければおとずれない時の流れだ。そして、死んでしまえばもう二度と自分の時間は流れない。そこで止まってしまう。 ハリーが元の世界へ戻って感じた疎外感のもとは、きっとそこにある。皆の時間は絶えず流れ続けるが、死者であるハリーはある一日におき去られたまま進めない。 死ぬというのは、おそらくそういう事なのだろう。人の心には残っても、ある一点を動こうとはしない。幼い頃祖父を亡くした時もそうだった。小学生だった私は高校生になったが、祖父の姿は変わらず、写真の中で微動だにしないのと同じだろう。 日々と時間を積み重ねて変化し、流れゆく時の中でどれだけ必死に歩くのか。それが、生きるという事なのだろうと私は思う。 ![]() |