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表紙

田中将大 ヒーローのすべて


迫力に満ちたスポーツノンフィクション。プロ野球、東北楽天ゴールデンイーグルスの田中将大投手。父と歩んだ少年野球時代の秘話、今だから明かせる駒大苫小牧高校時代のエピソード、早稲田実業との球史に残る激闘、新人王に輝いたプロ初シーズンの軌跡など、ドラマの舞台裏を徹底取材。公式戦全成績も収録。

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著者

黒田 伸 著
発売日 1月19日(土)
判型・頁数 四六判 356頁
定価 1,400円(税込)


目 次

プロローグ

第一章 プロ野球選手を夢見た少年時代

  オギャー 父も将大も巨人ファン
  「イチローの恋人」が最大の恩師
  野村監督と打撃投手の不思議な縁

第二章 「北の怪物」と呼ばれた高校時代

  なぜ駒大苫小牧へ 香田監督との出会い
  寮母が見た将大
  V2は必然の勝利
  「大魔神」と名付けた作家と詩人
  初顔合わせの明治神宮大会
  栄光からどん底へ
  2006夏 息詰まる攻防の裏側で
  田中が主役、引き分けと再試合
  最後に笑ったわけ
  「マー君」と呼ばれて
  三主将が見た田中

第三章 楽天のエースへ

  運命のくじ
  久米島ですでに才能開花
  初勝利は初完投のオマケ付き
  縦縞軍団との対決
  特別な巨人戦
  マー君のオールスター
  円山球場に運を届けに来ました!
  宮城球場に神が降りてきた
  阿久悠さんがシナリオライター
  マー君とダルビッシュ
  プロの洗礼
  新人王を決めた夜
  熱狂的な仙台のファン
  仙台の夜に貢献のマー君
  神様のスライダー
  新人王ロングインタビュー

公式戦記録

エピローグ


少年野球時代

 「かっこええなあ」と、野球に興味を抱き始め、少年野球チームの一員となった将大に、博さんは満足そうに笑みを浮かべた。
 その日からだった。息子と父親の間では、毎日のように野球の話題で持ち切りとなる。本物の金属のバットを買ってもらった将大は、野球ができる毎日が楽しくて仕方なかった。
 「別に野球選手にさせたかったわけではないし、将大がやりたい言うし、友だちもできると思って。体も鍛えられるしね」
 そう言って博さんは、「ほんまに親が、深く考えてやらせたんじゃないんです」と付け加えながら、あっはっは、ははは、と大笑いした。
 ところがこれは事実とは違うらしい。山崎さんによると、「まるで『巨人の星』の星飛雄馬と一徹のような親子だった」という。
 ひとつのエピソードがある。
 「お父さんも熱心で、一緒に練習を見ていました。昼に食事をすますと、時間を惜しむようにすぐにキャッチボールを始める。打者の研究もお父さんと田中君の二人でしているようでした。キャッチャーだった田中君は、お父さんのアドバイスを素直に聞いてましたから」
  博さんに「『巨人の星』のような父子だったそうで」と聞くと、「いやいや。野球の経験はありませんから」と体をゆすって笑った。(21・22頁から一部抜粋)

 

決勝戦が終わった

 田中将大が静かにバッターボックスに入る。
「野球の神様が仕組んだとしか思えなかった」
 この言葉は、斎藤、田中とも試合後、同じニュアンスで語っている。延長十五回を投げ合い、そして1点差まで詰め寄られた斎藤が最後に相対したのが、田中だった。
 七球目を待った。すでに六球を費やしている。カウントは2−1だから、五球ストライクを投げたことになる。ここで、田中はバッターボックスをはずす。早実ベンチは、外野手の位置を盛んに指で指示していた。斎藤の額や、頬から汗がしたたり落ちていた。青いハンカチもなければ、肩に顔をこするように汗をふくこともなかった。
 田中は三回、四回とまばたきして集中力を高めた。白川は外角にミットを構える。
「シュ」。ほんのわずかにボールがこすれたような音がした。その音は、白川と田中と、赤井球審にしか聞こえていない。白川のミットから、白球の半分が顔を出していた。あと一センチでもずれていたら、捕球できなかったかもしれない。
 田中はバットを振った勢いで三塁側を向き、そのまま天を仰いだ。マウンドに集まる早実ナインは、ナンバーワンポーズで喜んでいた。
  終わった。決勝戦の二試合が今、終わった。(150・151頁から一部抜粋)

野村監督の名言

 「マー君、神の子、不思議な子。不思議の国のマー君。調子も最悪、何点取られるか投げ続けさせようと思ったら、天から神が降りてきた。先祖代々、何かあるんだろうな、そういう星の下に生まれている。四回でおれはギブアップ。でも選手はギブアップしてなかった。今日の勝利は痛快!」
 野村監督の「名言」は、すっかり試合後の恒例になっている。パ・リーグ最下位球団を率いることになった名将は、ヤクルトの黄金時代を築いたときや、人気球団・阪神を背負ったときとは、違う対応を迫られる。もともとマスコミ好きとはいえない野村監督は、マスコミへのサービスを、こんな形で行っていた。孫のようなエースと取材陣を相手の分かりやすい解説が、名言という形でマスコミに取り上げられるようになったのだ。
 それにしても、野球を知り尽くした日本の野球の神様とでもいうべき存在の七十四歳の指揮官が、「神の子、マー君」とくるとは。
  次の日のスポーツ紙には、「田中は神の子」と各紙とも大きな見出しが躍っていた。地元の河北新報は「田中に神通力」という大見出しで、神がかり的な勝利を表現していた。(261頁から一部抜粋)


プロの洗礼

 その夜、マー君はなかなかインタビューに出てこなかった。試合が終わってから、十分、二十分と経過する。
<このショックなら、何もしゃべらないだろうな。ホテルへ直帰かもしれないな>
 長いミーティングの後、目が吊り上って見えるマー君が、チーム広報の内藤さんに促されて、出てきた。
「では、田中です。お願いします」
 どん、と左手に持っていたバッグを床にたたき付けるように置くと、ようやく会見が始まった。テレビクルー、一般紙、スポーツ紙、そして地元紙など二十社以上の記者がミーティングルームの壁を背にしたマー君を取り囲む。
 二〇〇七年九月二十六日、時間は、午後十時近くになろうとしていた。
 札幌ドームで行われた楽天―日本ハムの22回戦。マー君は、最悪の形で負けた。これぞ、プロという洗礼を浴びて、逆転サヨナラ負けを喫した。
 試合開始前から札幌ドームはいつもと違った雰囲気に包まれていた。田中が第二のふるさとと言う北海道で、初めてプロとしてのピッチングを披露する日が来た。
 観客の反応は、複雑なものがあった。
  「マー君にがんばってもらいたい。でも日本ハムが負けたら困る」。そんな空気が漂っていた。(288・289頁から一部抜粋)


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