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青春の音楽 PMF-Sapporo世界の木之下晃が撮り、語る、PMF20年の軌跡。バーンスタインら音楽祭を支えた巨匠の姿と、若き音楽家を200枚の写真でとらえた、記念碑的フォトブック。全頁英文対訳付き。
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優れた音楽家は、優れた教育から生まれてくるものである。
ハイティンクやムーティをはじめ、超一流の指揮者やウィーン・フィルの
首席奏者たちが札幌にそろって、直接若い音楽家たちを教えるPMFは、
世界でも屈指の“夢の教室"である。

Leonard Bernstein
レナード・バーンスタイン
音楽についてだけでなく、芸術についても、
芸術についてだけでなく、芸術と人生の関係についても。
さらに、自分らしくあることについて、真の自分を知ること、
「自分が何であるのかを知ること」、
そして、最善を尽くすことについても。
このようなことについて、できるだけ多くの人々に
伝えることが出来るなら、私はとても幸せです。
そしてこのパシフィック・ミュージック・フェスティバルこそ、
私の残された人生を捧げるべき献身と情熱の
対象なのです。
―レナード・バーンスタイン
(PMF1990<第1回>開会式あいさつから)
Yutaka Sado
佐渡 裕
PMFでの経験は、その後の僕の
音楽人生にとって得難い財産になりました。
レニーが創った1990年の「奇跡」の夏に
立ち会えたことはもちろん、
世界中のマエストロたちから学んだ10年間は、
大きな勇気と自信を今も
僕に与え続けてくれています。
それは、ここで学んだ2000人以上の若者たち
にとっても同じだと思います。レニーが
アジアの地にまいた種が大きく成長したことに
感謝するとともに、これからもその遺志が
受け継がれていくことを願います。


Music for Peace
PMFは、1985年に広島で開かれた「広島平和コンサート」が原点になっている。この「広島平和コンサート」は、原爆投下から40年目の広島に世界の若い音楽家が集まって、音楽を通じて“平和”を全世界に伝えたいという一人の若い音楽プロデューサーの発想からはじまった。
当時31歳だった音楽プロデューサー佐野光コ氏は、この構想を持って単独でニューヨークのバーンスタインに会いに行った。バーンスタインは佐野氏の情熱に感動して、ヨーロッパ10カ国の若い音楽家からなるEC(ヨーロピアン・コミュニティ)ユース・オーケストラを率いて広島を訪問し、演奏会を開いた。その時、バーンスタインが連れてきたのが、まったく無名だった28歳の指揮者大植英次と13歳のヴァイオリニスト五嶋みどりだった。2人にとっての日本デビューであった。
バーンスタインは佐野氏の構想を発展させ、北大西洋条約機構(NATO)のアテネとワルシャワ条約機構のブダペスト、そして永世中立国オーストリアのウィーンへと、大植、五嶋を連れて「平和を求める旅」に向かったのである。

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