道新立ち読みコーナー
 

   定価 \1,365
絶版
出産から始まる性教育
名付けに潜む本音
ランドセルの色は?
「あとがき」より
 

 「性教育なんて必要ない。あんなこと、放っておいても自然に分かることだ」 こうおっしゃる方に、時々お会いします。このご意見の方は、どちらかというと、女より男の人に多いようです。

 実は、その結果の善しあしは別として、この意見もまた「性教育」の1つの姿勢なのです。こうおっしゃる方は次にしばしば、こう続けるのです。

 「僕なんか、性教育なんぞ何も勉強しなかったけれど、ここまで結構うまくやってきたぜ」と。

 そうでしょうか。かくおっしゃる男性の身の回りを見てください。その方の母親は、ただの1度も女に生まれて来たことに、無念の涙を流したことはないでしょうか。

 学校に長く通えることだけが人生の利ではありませんけれど、例えば、この男性は高校を卒業していても、姉はそうでないとか。この男性は四年制大学に進学できたのに、妹の進学は反対されたとか、性が教育の機会均等をさえ阻んだなどということはなかったでしょうか。

 その人の妻は、持って生まれた才能や可能性を女であるために埋没させることなく、花開かせているでしょうか。

 こう考えていくと、「結構うまくやってきた」と思っているのは、ご本人だけで、その陰には案外多くの女の忍従の涙が光っているのではないでしょうか。

 「性教育」とは、そんなことのないように女とか男とかいうことに縛られることなく、一人ひとりが自分らしく幸せに生きるための学習のことです。

 「性教育なんて必要ない。あんなこと、放っておいても自然に分かることだ」の「あんなこと」とは何でしょうか。性交のことでしょうか。もしそうだとすれば、犬や猫が特別に学習しなくても、群れの中で自然に暮らしてさえいれば交尾ができるように、私たち人間も、特別に学習しなくても、生殖のための性交なら犬猫同様にはできるでしょう。

 しかし、私たちは今、ほかの動物たちと違って、文化的に社会的に深くかかわりながら暮らしています。性交に限って考えても、性交をどう行うかでなく、どんな人と、どんな関係をはぐくみながら、性交に至るのかが大切なポイントになるでしょう。

 どんな人と、どんな関係をはぐくむかについて、いかに人間として自由であり得るかが問われます。それを学習するのが「性教育」です。性が人権として学習されていくのが「性教育」と言えます。
 「性教育は苦手です。わが家では、まだまだ何もしていません」

 こんな声もよく聞きます。しかし、性教育をしない家庭や、性教育ぬきの子育ては、ほとんどあり得ないことです。

 子どもが生まれることが分かると、女だろうか、男だろうかと考えます。女の子ならいいなとか、男の子の方がいいなどと考えます。この時、すでに家族は性にこだわるという意味で性の教育がスタートしています。

 
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