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三浦綾子 三浦光世著・写真 後山一朗


定価 \1,680
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 本文より


(綾子)
 私たちは、毎日生きています。誰かの人生を生きているのではないのです。きょう一日は、あってもなくてもいいという一日ではないのです。もしも、私たちの命が明日終わるものだったら、きょうという一日がどんなに貴重かわからない。

     「愛すること生きること」(出典)

(光世)
 高齢になった故か、時間について思うことが、以前より多くなった。近年やたらに多忙になったせいもある。とにかく時間の経過の早さを思わずにはいられない。しかし、それもこれも、ほかならぬ自分が生かされているということ。更に大事に生きなければならない。





(綾子)
「死ぬよりほかに道がない」
などと考えるのは、いかに人間が傲慢であるかということの証左である。道は幾つもある。
 生きようとする時、必ず道はひらけるのだ。

               「孤独のとなり」(出典)

(光世)
 二十代の前半、私は腎臓結核の後遺症ともいうべき膀胱結核のために、毎日拷問のような苦痛に呻吟していた。遂には「いざとなれば、自分で自分を始末すればよい」などと、家人に向かってうそぶいていた。何と傲慢な態度であったことか。




(綾子)
 同じ一生でも、人によってちがうものだと思う。雨一つでも憂鬱になる人間と、喜ぶ人間がいる。同じ道を歩いているからと言って、同じことを感じているとは限らぬものだ。

 「生かされてある日々」(出典)

(光世)
 この地上に、雨が降らなかったら大変なことになる。が、私たちは雨が降ると愚痴を言い、風が吹くとこぼす。勝手な話である。人間はたいていのことに感謝していい。いや、感謝して生きるべきなのだ。






(綾子)
 言葉は確かに大切なものだ、しかし人間には、言葉より大切なものがあるのだ。それは心である。愛である。

 「それでも明日は来る」(出典)

(光世)
 綾子の私に対する言葉は、いつもあたたかかったが、言葉に出さなくても、その態度表情で、私を慰め、楽しませ、励ましてくれたことも実に多かった。




(綾子)
 もし、わたしが、家庭とは何かと尋ねられたとしたら、「家庭とは、愛を学ぶ学校である」ということになるであろうか。

 「あさっての風」(出典)

(光世)
 この「家庭とは愛を学ぶ学校」という言葉は、綾子の借物ではなかったと思う。愛し合える家庭を常に望みみて、私を愛してくれたような気がする。そして遂に、綾子は落第することがなかった。



(綾子)
 私は、国も誤った方向に行こうとしたら、命を賭してでも、「それはいけない」と言うだけの勇気を持たなくちゃいけないと思っています。自分の国さえ守られていれば、自分の国さえ得になれば、隣の国は隣の国というんじゃなくて、隣国が与えられているとうのは、隣国を愛するために与えられているのであって、戦う相手として与えられているんじゃない。

 「愛すること生きること」(出典)

(光世)
 大きなことを言っているようだが、綾子の実感であろう。人間、土壇場に立たされたら、何を言い出すかわからない弱い存在であるが、綾子の生き方には、相当の勇気があった。戦時中、彼女は教師として生徒に教えていた。神国日本を、聖戦を、現人神を、神風を、そのとおりに信じて教えていた。敗戦後その誤まりを知らされ、教壇を下りた。だけでなく自殺さえ図った。その苦い経験から出た言葉である。



(綾子)
 無関心ということは、何と恐ろしいことだろう。つい、目と鼻の先の出来事であっても、関心を持たぬ限り、それは遠い世界の出来事である。この無関心はわたしの持つ大きな罪悪の一つのように思われる。 

 「石ころのうた」(出典)

(光世)
 「関心」とは何か。辞典には「心をひかれること」とある。私たち人間は、貴重な命を生きている。その命も自分の意志で得たものではない。と見る時、すべては関心の対象となり得る。だからと言って、悪事に関心を向けてはならないことは、いうまでもない。




(綾子)
 「使命」という字は、命を使うと書くと聞いた。なるほど、使命とは命を使うことか。味わい深い言葉なり。一本の花が命を限りに咲いている。それもまた使命を果たしているということ。その人なりにひたすらに生きる、美しいことだ。

 「この病も賜として」

(光世)
 前項で私は人間の使命について考えた。何事によらず、この使命観を確立していないと、何のために生きているのか。わからなくなる。どのように命を使ってよいのか、さだかでなくなる。使命ということは、人間の根本問題といえるかも知れない。





(綾子)
 時期がくれば木々は紅葉し、虫はすだき、鳥は渡り、雪は降る。人間も被造物の一つ。今少しく謙虚でありたい。

「心のある家」(出典)

(光世)
私はこの頃、地球に季節があることに、毎日驚いている。この季節一つを考えても、人間もっともっと謙虚になっていいのではないか。







(綾子)
言葉を信頼出来る、いや、信頼出来る言葉を出す教育、それは何とすばらしいことだろう。金力、権力、暴力が人を動かし、口約束も公約も踏みにじられる現代にあって、これはまことに貴重なあり方だと思うのである。

 「ナナカマドの街から」(出典)

(光世)
「信頼できる言葉を出す教育」ー綾子にしては珍しく廻りくどい表現だが、人の力になる言葉を、お互い言い得たら幸である。
 私はこの頃、サインを頼まれると、よく「愛は人の徳を高める」という聖書の言葉を書く。愛があれば他者の徳行を高め、能力を引き出し得る。常にその愛を持って生きたいものだ。



 あとがき

 今年は三浦綾子記念文学館開館5周年の節目の年である。これを記念して本書が刊行されることになった。すなわち、当文学館監修の一冊である。企画は北海道新聞社の安川誠二編集者と当文学館事務局の松尾幸人、梶浦浩子による。
 写真は主に後山一朗氏の作品で、私宅に保存されている古い写真の複製もある。それらの写真に、妻三浦綾子と私の短い文章を添えた。後山氏の写真作品の見事さにくらべて、何れもまことに拙い言葉である。日頃感じていた綾子の言葉を、企画者たちが彼女の小説やエッセイ等から収録し、更にその言葉に、私が感想を述べた。
 綾子の言葉は、いわば人生観とも言えるが、それは少しく大げさである。まして私の言葉は粗末である。人間生きていく上において、いくらか共感していただける言葉もあるかも知れないが、とにかく小さな感想である。
 後山氏の力のこもる写真作品等を鑑賞しつつお読みいただけたら幸いである。

 2003年5月

                       三浦光世


 
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