本文より

(綾子)
私たちは、毎日生きています。誰かの人生を生きているのではないのです。きょう一日は、あってもなくてもいいという一日ではないのです。もしも、私たちの命が明日終わるものだったら、きょうという一日がどんなに貴重かわからない。
「愛すること生きること」(出典)
(光世)
高齢になった故か、時間について思うことが、以前より多くなった。近年やたらに多忙になったせいもある。とにかく時間の経過の早さを思わずにはいられない。しかし、それもこれも、ほかならぬ自分が生かされているということ。更に大事に生きなければならない。
(綾子)
「死ぬよりほかに道がない」
などと考えるのは、いかに人間が傲慢であるかということの証左である。道は幾つもある。
生きようとする時、必ず道はひらけるのだ。
「孤独のとなり」(出典)
(光世)
二十代の前半、私は腎臓結核の後遺症ともいうべき膀胱結核のために、毎日拷問のような苦痛に呻吟していた。遂には「いざとなれば、自分で自分を始末すればよい」などと、家人に向かってうそぶいていた。何と傲慢な態度であったことか。

(綾子)
同じ一生でも、人によってちがうものだと思う。雨一つでも憂鬱になる人間と、喜ぶ人間がいる。同じ道を歩いているからと言って、同じことを感じているとは限らぬものだ。
「生かされてある日々」(出典)
(光世)
この地上に、雨が降らなかったら大変なことになる。が、私たちは雨が降ると愚痴を言い、風が吹くとこぼす。勝手な話である。人間はたいていのことに感謝していい。いや、感謝して生きるべきなのだ。
(綾子)
言葉は確かに大切なものだ、しかし人間には、言葉より大切なものがあるのだ。それは心である。愛である。
「それでも明日は来る」(出典)
(光世)
綾子の私に対する言葉は、いつもあたたかかったが、言葉に出さなくても、その態度表情で、私を慰め、楽しませ、励ましてくれたことも実に多かった。
(綾子)
もし、わたしが、家庭とは何かと尋ねられたとしたら、「家庭とは、愛を学ぶ学校である」ということになるであろうか。
「あさっての風」(出典)
(光世)
この「家庭とは愛を学ぶ学校」という言葉は、綾子の借物ではなかったと思う。愛し合える家庭を常に望みみて、私を愛してくれたような気がする。そして遂に、綾子は落第することがなかった。
(綾子)
私は、国も誤った方向に行こうとしたら、命を賭してでも、「それはいけない」と言うだけの勇気を持たなくちゃいけないと思っています。自分の国さえ守られていれば、自分の国さえ得になれば、隣の国は隣の国というんじゃなくて、隣国が与えられているとうのは、隣国を愛するために与えられているのであって、戦う相手として与えられているんじゃない。
「愛すること生きること」(出典)
(光世)
大きなことを言っているようだが、綾子の実感であろう。人間、土壇場に立たされたら、何を言い出すかわからない弱い存在であるが、綾子の生き方には、相当の勇気があった。戦時中、彼女は教師として生徒に教えていた。神国日本を、聖戦を、現人神を、神風を、そのとおりに信じて教えていた。敗戦後その誤まりを知らされ、教壇を下りた。だけでなく自殺さえ図った。その苦い経験から出た言葉である。
(綾子)
無関心ということは、何と恐ろしいことだろう。つい、目と鼻の先の出来事であっても、関心を持たぬ限り、それは遠い世界の出来事である。この無関心はわたしの持つ大きな罪悪の一つのように思われる。
「石ころのうた」(出典)
(光世)
「関心」とは何か。辞典には「心をひかれること」とある。私たち人間は、貴重な命を生きている。その命も自分の意志で得たものではない。と見る時、すべては関心の対象となり得る。だからと言って、悪事に関心を向けてはならないことは、いうまでもない。
(綾子)
「使命」という字は、命を使うと書くと聞いた。なるほど、使命とは命を使うことか。味わい深い言葉なり。一本の花が命を限りに咲いている。それもまた使命を果たしているということ。その人なりにひたすらに生きる、美しいことだ。
「この病も賜として」
(光世)
前項で私は人間の使命について考えた。何事によらず、この使命観を確立していないと、何のために生きているのか。わからなくなる。どのように命を使ってよいのか、さだかでなくなる。使命ということは、人間の根本問題といえるかも知れない。

(綾子)
時期がくれば木々は紅葉し、虫はすだき、鳥は渡り、雪は降る。人間も被造物の一つ。今少しく謙虚でありたい。
「心のある家」(出典)
(光世)
私はこの頃、地球に季節があることに、毎日驚いている。この季節一つを考えても、人間もっともっと謙虚になっていいのではないか。
(綾子)
言葉を信頼出来る、いや、信頼出来る言葉を出す教育、それは何とすばらしいことだろう。金力、権力、暴力が人を動かし、口約束も公約も踏みにじられる現代にあって、これはまことに貴重なあり方だと思うのである。
「ナナカマドの街から」(出典)
(光世)
「信頼できる言葉を出す教育」ー綾子にしては珍しく廻りくどい表現だが、人の力になる言葉を、お互い言い得たら幸である。
私はこの頃、サインを頼まれると、よく「愛は人の徳を高める」という聖書の言葉を書く。愛があれば他者の徳行を高め、能力を引き出し得る。常にその愛を持って生きたいものだ。
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